2009年6月28日日曜日

6/28 Today お芙美さんが死んだ日(1951)

林芙美子は、とても頑張った人。日本人の原点でもある:
林芙美子 - Wikipedia: "林 芙美子(はやし ふみこ、本名:フミ子、1903年12月31日 - 1951年6月28日)は、日本の小説家。上京前のペンネームに秋沼陽子(あきぬま ようこ)がある。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる昭和初期の流行作家。自らの貧困に苦しんだ生い立ち、流浪の経験などを基にした、生々しい実感を伴う表現や人物描写が特徴。"


おいらも追悼の意を表したことがある:
6/28 Today 芙美子忌……いま再び林芙美子が新しい

中井の豪邸の頻繁に出入りする訪問客には鮨を注文するが、小皿に残った醤油は絶対に捨てさせなかったという(女中の証言)。これぞ元祖エコロ。モッタイナイ精神である。

ニッポンのエコロも林芙美子に見習って、環境とやらで食っている既得権集団を儲けさせるだけのための無駄遣いはいい加減にやめたらどうかな。これこそ地球環境の保全につながる。ノーソン商業主義に踊らされるいまのエコロは、あまりにもナイーブ。

2009年6月25日木曜日

6/25 Today テレマンが死ぬ(1767)

ゲオルク・フィリップ・テレマン - Wikipedia: "ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681年3月14日-1767年6月25日)は、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家である。生前は同時代の作曲家であったバッハやヘンデルより、人気と名声のあった作曲家とされる。"
へ〜、当時はバッハやヘンデルより人気があったんだ。なぜか?

オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た。テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌「忠実な楽長」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず、続きは後の号に載せることで継続して買ってもらうという新手の商法を生み出すという商売上手であった。

1722年、ライプツィヒの聖トマス教会の楽長が亡くなった時、ライプツィヒ市はまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく知名度の低かったバッハを招聘したというエピソードからも、当時のテレマンがバッハより人気が高かったことがわかる。

「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデル氏が、フランスやロシア・スウェーデンからも予約注文があったという。

いろいろビジネスモデルを創意工夫した人らしい。当時の芸術家は座っておれば売れるという殿様商売でなかったところが面白い。そればっかりになっても困るけれど、殿様商売が制度化すると国は衰退してしまう。

2009年6月24日水曜日

「一億、総アホロートル社会が出現しつつある」(鹿島茂)

「アホロートル」と聞いててっきり「阿呆老人」のことだと思ったが、そういう生物がいるらしい(アホロートル)。鹿島茂による3回連続日経「プロムナード」(初回、2回目はこのリンク)での若者論の完結編。例によってメモしておく:

抜き書き:
  1. 1975年頃からの若者が知的な家庭に入ることを拒否し、遠方指向性を失うようになったが、それは同時に成熟することの拒否でもあった。オカク化とはそういう過程。しかしバブル崩壊前まではオタクはまだ少数派であった。
  2. 社会に子供を一気に大人社会に組み入れる通過儀礼(イニシエーション)が存在していたからだ。入社試験と新人研究制度である。それは戦前の兵役制度に等しかった。
  3. ところがバブル崩壊とそれに続く不況によって、会社のこの機能が徐々に失われていった。会社は「成人教育機関」としての役割を放棄する以外に生き延びる道はなかったのである。
  4. 一概に企業を責めることは出来ない。責められるべきは、戦後、通過儀礼の役割を会社に押しつけてきた歴代の政府だ。
  5. バブル崩壊後、会社が通過儀礼の役割を放棄したことで、この大切な役割を演じるものがだれもいなくなってしまった。
  6. いまの日本人は、幼形成熟する両生類アホロートルに似ている。「一億、総アホロートル」の社会が出現しつつあるのだ。

オタクたちにはもちろん、いわゆるニッポンイストにもこういう話は耳障りなようだ。でも、問題の原因を正しく認識することが、その解決策を検討する作業に起点となる。その問題の中にどっぷり使っている人より、傍目八目の視点をもてる人の方が本質を適確に見えることが多い。フランス文学者なればこそ見えてきた構図である。石原慎太郎は嫌いな仏文学者を軒並み焚書坑儒して以来、とんちんかんが増えた。

6/24 Today 壬申の乱始まる (672)……今日はやっぱりこれ(再掲)

壬申の乱 - Wikipedia: "大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月27日)に吉野を出立し伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れる。"

天智天皇の譲位の申し出を陰謀と見抜き吉野に逃れた大海人皇子はこの日ついに挙兵を決意する。皇子に続くものは妃の讃良皇女(後の持統天皇)ほか腹心の部下わずか20数名。夜闇に紛れ一行は伊勢にたどり着き、いよいよ軍勢を整えて滋賀へと攻め上る。古代最大の内乱である壬申の乱はこうしてはじまった。

壬申の乱ほど面白い物語はないですよ。日本史で一番面白いとも言える。肉親同士の確執あり、純愛物語あり、陰謀あり、裏切りあり、不倫あり、大戦争あり、手に汗握る大逆転あり、何でもありなのである。映画とかテレビにすればこれほど面白いものはないと思うのだが、不思議なことに今までこれが映画化されたことはない。天皇家の内輪もめを娯楽映画にするのは恐れ多いという遠慮からだろう。シェイクスピアがイギリス王室を題材に多くの名作を残したのとは対照的。日本にシェイクスピアは出ないのか。

大海人皇子(天武天皇)は恋人の額田王を兄の天智天皇に横取りされ、それを恨んでの反乱との説がある。当時もう既に額田王は40を越していたのでこれは俗説であるとの見方が主流だが、散人としてはこの説がロマンティックで好きだ。あくまでもお話しとして楽しめればそれでいい。

 天皇(天智)蒲生野に狩猟せられしとき額田王よめる歌
(註;詠んだ相手はもちろん昔の恋人大海人皇子)
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

 大海人皇子答ふる御歌
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆえにわれ恋めやも
(註:人妻というのは額田王が天智天皇のものであったことをさす。亭主の前でなんたる大胆さ)

万葉集の中でも散人が一番愛して措かない一節です。

(余談)古代の反乱では、いったん東に逃れてそこで兵を集め都に攻め上るというのが一般的なパターン。だから反乱となると東国への連絡線を遮断するため真っ先に関所が封鎖された。中世になって源頼朝は同じパターンを踏襲。流人の頼朝はいったん三浦半島から房総に逃れ、北回りで現在の千葉と東京あたりを移動しながら兵を集め、今度は一挙に南進し鎌倉に攻め上った。腕っ節の強い東国の武士(まあ農民だね)を味方に付けることが出来るかどうかが反乱が成功するかどうかの鍵を握っていたのである。平成の世も基本的にはこんな構図で世の中は動いている。都市住民の声は力で無視されるのだ。こういう古代的なやり方からそろそろ卒業したいね。


(初出:2003.6.24)

さて、現代ニッポンでも兵乱の動き。泣いても笑っても今年は衆院選挙なのだ。壬申の乱の展開となるか。でも役者不足の感があり、なんだかつまらない。与野党とも腕っ節の強い農民票の獲得しか頭の中にないみたいだから。

2009年6月23日火曜日

6/23 Today プラッシーの戦い(1757)

プラッシーの戦い - Wikipedia: "プラッシーの戦い(ぷらっしーのたたかい)は、1757年、インドベンガル地方のプラッシーで行われた、イギリス東インド会社と、連合軍(ムガル帝国ベンガル太守率いる土侯軍と後援するフランス東インド会社)との間で行われた戦いである。

1757年6月23日、イギリスの軍人クライヴは、東インド会社の軍隊を率いて、フランス勢力と組んだベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラとカルカッタの北方プラッシーで交戦した。

クライブの率いたイギリス東インド会社軍は僅かに欧州人兵士950人・セポイ2,100人と9門の砲・100人の砲兵を有していたのみで、これに対してフランス東インド会社と同盟していたベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラは16倍(50,000人)もの歩・騎兵力と40人のフランス兵が操作する重砲を含む53門の砲を装備して戦いに臨んでいた。

ベンガル太守軍の兵士達は日頃の訓練不足と、情況の変化に柔軟に対応できないヒンドゥー教徒特有の性質から当日の豪雨の中に火薬樽や銃・砲を放置し、水浸しとなった火薬は着火しなくなってしまった。雨が止んだ14:00頃から反撃を開始したイギリス東インド会社軍に一方的に攻撃されて惨敗した。"

これでイギリスのインド支配は決定的なものとなった。インド側はなぜこの戦いにボロ負けしたのか?

雨のためとか裏切りのためとか説明されるが、決定的だったのはインド側の兵士の個性が強く集団行動をとれなかったのに対し、イギリス側はヨーロッパ式集団隊列訓練を受けていたこと(いまのイランの親衛隊や将軍様の兵隊の行進みたいなもんだね)。日本でも昔の鎌倉武士はばらばらに個性的行動をとった。集団ロボットみたいな隊列行進はヨーロッパの発明なのだ。

集団主義はアジアのお家芸と思われているが、当時は逆だったみたいで面白い。



2009年6月22日月曜日

6/22 Today 高田好胤が死ぬ(1998)

高田好胤 - Wikipedia: "高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。

1949年、副住職に就任すると、修学旅行の生徒達への法話に力を入れた。そのユーモアたっぷりで分かりやすい法話は人気を呼んだ。高田の法話を聞いた生徒は500万人にものぼるという。

1967年、管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。薬師寺には檀家組織がなかった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。高田は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。"

坊さんはおしなべて話が上手だから、聞いていて楽しい。

薬師寺には安定的な収入源となる檀家組織がなかった。これがなかったことが新機軸(写経勧進)に踏み切らせる動機となった。イノベーションも同じで、寝てても食える状況では起こらないのである。

2009年6月21日日曜日

6/21 Today マキャベリが死ぬ(1527)

ニッコロ・マキャヴェッリ - Wikipedia: "ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家である。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治を宗教・道徳から切り離して現実主義的な政治理論を創始した。日本語ではマキャヴェリ、マキャベリ、マキァヴェリ、マキァヴェッリなど様々な表記が見られる。"

彼の理論は「フォルトゥーナ」(伊: fortuna, 運命)と「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)という概念を用い、君主にはフォルトゥーナを引き寄せるだけのヴィルトゥが必要であると述べた。『リウィウス論』では古代ローマ史を例にとり偉大な国家を形成するための数々の原則が打ち立てられている。全てにおいて目的と手段の分離を説いていることが著作当時おいて新たな点であった。

この「目的と手段の分離」というのが、いまだにポリティカリーコレクトじゃないらしい。特にニッポンにおいては、大衆レベルの既得権益が社会の隅々にまで蔓延っているので、いかなる「手段」も講じられない状態に陥ることが多い。

土地の私権がこれだけ保護されている国は日本とドイツだけである。いずれも戦勝国が両国を二度と軍事強国にしないために意図的に導入したものである(高坂正堯)。その結果、いかなる高尚な国家目的実現の手段も、戦後の農地解放で出現したニワカ成金ヒャクショウ地主のエゴに合致しないと実現できない仕組みとなってしまったのである。

2009年6月20日土曜日

「しょうもない人(票を持ってない人)は來ないでくれる?」(麻生太郎)

asahi.com(朝日新聞社):首相「しょうもない票のない人、前に来ないで」報道陣に - 政治: "麻生太郎首相は19日夜、東京都議選の応援のため三鷹市の自民党立候補予定者の事務所を訪れた際、報道陣に向かって「しょうもない人はちょっと来ないでくれる。票を持っている(地元の)人だけ前に来て。票を持ってない人が前に来られると」と述べた。"

太郎君、つい本音が出てしまった。

おいら東京都民の一票の重みは、どっかの「しようもない」イナカの有権者の4分の一という軽さ。おいらもお呼びじゃないらしい。

慎太郎、これを見逃したら(聞き流したら)男じゃないぞ!

6/20 Today 徳川吉宗が死ぬ(1751)

德川吉宗 - Wikipedia: "江戸幕府第8代将軍。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月17日)死没 寛延4年6月20日(1751年7月12日)

吉宗は紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。また、大奥の整備、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。そして、第4代将軍・徳川家綱時代から続いていた学問を奨励する文治政治を見直し、武芸を奨励する武断政治を志した。一方で年貢を五公五民にする増税政策によって、農民の生活は窮乏し、百姓一揆の頻発を招いたが、江戸幕府の三大改革の中で最も成功したものとして高く評価されている。吉宗の改革が無ければ、江戸幕府の崩壊はもっと早く到来したであろうとする意見も多い。"

妥当な評価でしょう。おかしなところはともかく「改革」する。それをしなければ衰退するだけなのである。

でも、こういう意見もある:
8/2 Today 徳川吉宗、目安箱を設置 (1721)……彼の改革は成功だったのか?: "経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。"

書いたのはおいら。しかし、よく考えてみると当時の経済学のレベルはその程度のもの。吉宗はよくやった方だと思うようになった。

2009年6月19日金曜日

エコポイント交換商品リストの公表……またしても都会のナイーブなエコ市民のなけなしのお金はエネルギーをじゃぶじゃぶ浪費するイナカモン既得権集団に山分けされることとなった

まさに憂鬱になったこのニュース:
NHKニュース エコポイント交換 271品目: "省エネ家電を購入した場合に受け取れるエコポイントと交換できる商品が発表され、品目は経済への効果を重視して、デパートや地域の商店街などで使える商品券をはじめ、特産品や旅行券など、あわせて271件に上っています。"

なんでJRの切符や高速道路が対象になるのだ。この非常時、やたらに移動しないことこそエコだろうが。国産農産品や水産物が対象になったのも解せない。石油エネルギーを一番じゃぶじゃぶ浪費するのがこの種の産業だからだ(農水族が自分たちへの利益誘導を狙ってこね上げた「フード・マイレージ」とかいうアホな屁理屈は科学的に完全に否定されている。日本にとっては外国農水産物を輸入するのが一番合理的な省エネ対策であることが立証されているのだ)。

毎度のことながら、環境によかれと思って、なけなしのお金をエコ商品への支出に遣ったナイーブな都市消費者の善意は、完全に裏切られる結果となった。

地域振興にかかわる商品券も対象になっているが、大阪天神橋商店街は対象から外れたようだ。可哀想だが、大阪なんかの都会もんを助けることは、いくら彼らが不況で苦しんでいたとしても、政治権力を握る利権集団であるイナカモンの利益にはつながらないので、お呼びではないのだそうだ。

ニッポンの政治は、毎度のことながら、とても憂鬱になる。

大泉一貫『日本の農業は成長産業に変えられる』

ニッポンの農業を取り巻く状況は複雑怪奇。たいていの人はおかしいなと思いながらも理解できない。どうしてこんなことが出来ないのと素朴な疑問を呈しようものなら、専門家と称する人から「あんたはなにもわかっていない、ニッポンの農業とはそんな簡単なものではないのだ」と複雑怪奇で奇妙奇天烈な理屈をとうとうと弁じられ、ますますわからなくなってしまうのである。でも、本当の専門家はそんなむつかしい理屈はこねず平易に説明してくれるものだ。著者の大泉一貫氏は、誰もが認める日本農業と農政の権威。理論ばかりではなく、現場の状況も知り尽くしている。だからこそ、ニッポンの農業と農政の実態とその桎梏からの脱出法をわかりやすく説明することが出来るのである。いまのニッポンの農業はどうもへんだと感じている人たちは、消費者はニッポンの農家にぼられすぎだと思っている人も、農村こそ新天地だとして自ら就農を考えている人も、ニッポンの伝統的稲作こそがニッポンの文化であり環境を守るのだと信じているエコロも、みんなこの本を読んだ方がいい。それぞれの立場で満足のゆく回答を見つけることが出来るだろう。ただ、農水族議員先生たちと自分の生活の糧を自分の働きではなく族議員たちの政治力だけに頼っている人たちは、激高してこの本を焚書にせよとまくし立てると思う。一貫センセー、負けずに頑張れ。



アマゾンの内容紹介によれば:

【農業は衰退産業ではない!】

本来、国際競争力を持ちうるコメの可能性を狭めているのは、
減反や高額関税などの米価維持政策である。

政治力を最大限に駆使する農協、「票と俵」のバーター取引を
持ちかける族議員たちが、「民生(社会保障)米価」を守って
きたために、日本の農業は停滞させられた。

「減反(生産調整)」をやめ、自主的なものとし、
「農地法」を改正し、眠る農地(耕作放棄地など)を意欲ある者にまかせれば、
日本の農業は見違えるほど活性化する!

また、その際には、農業経営者の育成や農商工連携を
通じたビジネスモデルの構築が急務だ。

農業の最大の課題は人材の枯渇にある。
まだ規制緩和の余地があるとはいえ、特区制度や農業生産法人を使い、
徐々に農業への企業参入の道も開かれつつある昨今、
日本の農業の産出額をいかに上げ、
成長軌道に乗せていくかを真剣に考えるべき時が来ている。

今こそ日本の農業が世界に打って出るチャンスなのだ。


【本書の構成】

第1章 コメで国際戦略を描け
第2章 農業を成長産業にする条件とは
第3章 農業が活性化するビジネスモデルを考える
第4章 農業への参入機会を国民全体に開け
第5章 農地法という企業参入に立ちふさがる高い壁
第6章 内向きの農政で衰退する我が国のコメ産業
第7章 政治に翻弄されてきた日本の農業


どうです。読んでみたくなるでしょう。新書版なので手軽に読める。でも内容は深い。

小生が特に印象深かった点は、日本の本来の農業とは、とても知的創造力に溢れた企業家的農業であったという点。農業はあくまでも「産業」だったのである。それが戦後の昭和30年以降、急速に萎縮し、衰えてしまった。

著者はこれこそ政治に翻弄された日本の農政と農家の所得維持向上だけを考えた戦後の保護政策と諸制度の問題だという。全く同感。

いまのニッポンの農業は、こうした政治的な利権追究の結果、この四半世紀の短い時間で出来上がった一種の「奇形」なのである。本来のニッポンの農業はもっと力強いものであった。いまの利権漬けニッポン農業こそが「ニセモノ」なのである。

ニッポンの農業を本来の正しい姿に戻せ!

6/19 Today 日米修好通商条約の締結(1858)

日米修好通商条約 - Wikipedia: "日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つである。幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだ(安政五ヶ国条約)。

この不平等条約の改正は、日本が日清戦争において清に勝利した後で、明治32年(1899年)7月17日に日米通商航海条約(昭和15年(1940年)1月26日失効)が発効されたことにより失効した。"

不平等条約といわれる所以は、日本に関税自主権がなかったから(関税はあらかじめ両国で協議する「協定税率」。関税自主権がない状態)。でも、このおかげで明治の日本は驚異的な経済発展を遂げることが出来たと経済学の泰斗ミルトン・フリードマンは主張している。

日経新聞で読んだ:
「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」(M.フリードマン): "昨年死去した自由主義経済の泰斗、M・フリードマン氏は「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」という逆説を唱えた。高関税による保護主義がとれなかったがゆえに、比較優位の高い繊維産業などへの資本集積が進み、経済の近代化が加速したという見方だ。

戦後の資本自由化でも多くの企業が危機感をバネに飛躍した。豊田英二・トヨタ自動車工業社長(当時)は70年の年頭の辞で「総力を結集して自由化に対処し、国際競争で勝利を収める覚悟」と述べている。陰に陽に保護され続けた農業や金融業が、国際競争力を持ち得なかったのとは対照的である。"

関税率を一国が勝手に決めることが出来ると、必ず国内既得権集団の利益となるように関税率が設定され、経済全体にはマイナスの効果をもたらす。いまの農産物の関税率がどれだけ消費者を苦しめ経済の足を引っ張っているかを見ればわかる。WTOもその問題を解決しようとして創設された。江戸幕府は、そこまで考えてはいなかっただろうが、えらかったのである。

2009年6月18日木曜日

6/18 Today ジューコフが死ぬ(1974)

ゲオルギー・ジューコフ - Wikipedia: "ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ(ロシア語:Георгий Константинович Жуков,英語:Georgy Konstantinovich Zhukov, 1896年12月1日 - 1974年6月18日)は、ソビエト連邦の軍人、政治家。第二次世界大戦期を通じてソ連で最も活躍した軍人の一人で、ソ連邦元帥まで昇進した。

ノモンハン事件。ジューコフは、十分な戦力を準備し、1939年8月20日より関東軍に対する反撃を指揮した。自動車化された砲兵と歩兵の支援のもと、2個戦車旅団が戦線の両翼を進撃するという大胆な機動を行って日本の第6軍を包囲し、1個師団を全滅させるなどの大打撃を与えた。2週間の内に関東軍は撤退し、その後、国境線はソ連・モンゴルの主張通り確定された。

この戦闘におけるソ連側の損害も決して少なくなかった。ただ、ソ連の戦術は、基本的に数の圧倒的優位で勝利を狙うもので、その勝利の基準は損害の寡多ではなく、戦闘課題を達成できたかどうかである。ソ連軍は圧倒的な人的物量を誇っていたので、死傷者数はほとんど問題にならなかった。"
けっこう長生きした。スターリンに粛正されずこれだけ生き延びたとは、さすがはとてもエライ「戦略家」である。

半藤一利によれば、ノモンハン事件の後、ジューコフはスターリンに次のような報告を行ったよし:
5/11 Today ノモンハン事件(1939)……ジューコフの“あっぱれな正答”: "日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。"

当時の日本軍の強みと弱みをよく見抜いている。さて、いまでもこれが言えるのか。ちょっと心配。

iPhone OS 3.0 : おいらもアップデート中!

真夜中の午前二時にアップデート可能となったらしい。自動的にやってくれるのかと思っていたら、自分でやらねばならない。やり方:
iPhone OS 3.0にすんなりアップデートさせるための準備 - builder by ZDNet Japan: "iPhoneを接続してからiTunesを起動し、[デバイス]→[概要]タブの順に画面を開き、[アップデートを確認]ボタンをクリックすればOKだ。"
そうなのか。

延々と時間がかかっている。起きたときにはじめたんだけれど、まだ終わらない。世界中から殺到してきているからかな?

2009年6月17日水曜日

「還暦を過ぎたら、もう健康に留意するな」(高任和夫)

今日の日経夕刊「さらりーまん生態学」。高任和夫に大賛成。他にも「ポリティカリー・コレクト」じゃないことを連発。すべて正しい。襟を正して読むべきだ。

曰く;
  1. 定年の挨拶状を貰う。概ね「心身の健康に留意し、これからは生き甲斐を探したい」とある。アホだ。
  2. 第一、還暦を過ぎたら、もう健康なんか関係ない。大いに酒を呑み、たばこを吸い、遊びまくって、そして死ねばいい。
  3. 日本の国家目標は、経済成長を遂げ、長寿社会を作ると言うことであったが(そのために喫煙者は犯罪者のように扱われるが)、その結果「少子高齢化」などという問題が生じてしまった。そのような国を目的としていたのではなかったか。
  4. 地方の過疎化もそう。若者を東京に集めれば、地方に人材は残らない。地方分権と言うが、人材不足を抜きにしてなにが分権か。
  5. 挨拶状に定年後に人生の目的を探すとあるが、定年まで探せなかったものが、定年になり暇が出来たと言って、探せるわけがない。
  6. 最近やっとわかったが、おれはあと1年か2年しか生きられないのだと思うことだ。そう腹を決めれば、いまのこの世を楽しむことが出来る。

高任和夫の名調子に座蒲団三枚。現代ニッポンには、おかしなちぐはぐなことが多すぎるのである。ゆえに壮大なエネルギーと資源の無駄遣いが生じている。

6/17 Today 原節子さんのお誕生日(1920)

原節子 - Wikipedia: "原 節子(はら せつこ、本名:会田 昌江/あいだ まさえ、1920年6月17日 - )は、日本の女優。

「永遠の美女」「永遠の処女」などと謳われた日本映画黄金時代の大女優であるが、42歳の時に引退した。

1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。"
今日は89歳のお誕生日。

42歳で「隠棲」とは、カッコイイ!

2009年6月16日火曜日

「文部省の実学志向が、若者の内向き現象を生み出した」(鹿島茂)

先週の予告の通り、鹿島茂は若者の内向き指向について議論を続ける。ちなみに先週のお話しとはこういうもの:
Letter from Yochomachi: 「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

この続きが今日の日経夕刊(以下)。ふむふむ、なかなか面白い。

曰く:
  1. 「内向き」現象は、二段階の変化による。一つは、1975年代から生じた大学生の質的変化。もうひとつは90年代のバブル崩壊以降の社会の変化。とりあえず前者について論じる。
  2. 明治の開国で、大衆は舶来品を有り難がっただけだったが、高等教育を受けた階層は例外なく欧米の文化を一つの規範として受け入れた。教育を介して「知」の過程にアクセスすることで、彼らの心の中に「遠方指向性」が生まれたからだ。
  3. これが1975年頃まで続いた。ところが団塊の世代が大学を卒業し終わった頃から、地滑り的変化が生じた。外国のモノ、とりわけブランド品が街に溢れるのに反比例して外国文化への興味が失われた。
  4. 知的エリートであるはずの大学生が、遠方指向性を特徴とする知的上昇の過程に入ることなく、子供時代の延長として「モノ」を愛するようになったからだ。男子においてはオタク化現象、女子においてはブランド品愛好となってあらわれた。
  5. 学園紛争に懲りた文部省が、大学を郊外に移し、学生を無菌化し、社会との接点を失わせ、「君はそういう余計なことを考えなくていいよ」と呼びかけ、大学生の知的過程への参入機会を消滅させ、必然的に遠方指向性をなくし、外文系への無関心を生じさせたからである。
  6. しかし、それはまだまだほんの序曲にしか過ぎなかったのである。

おやおや、まだ続くらしい。これは楽しみ。

6/16 Today 楊貴妃が死ぬ(756)

楊貴妃 - Wikipedia: "楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) - 756年7月15日(至徳元載(元年)6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと言われたため、傾国の美女と呼ばれる。古代中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。現代でも世界三大美女の一人とされている。(クレオパトラと楊貴妃に、ヘレネ(日本では小野小町)が加わる)。実際は太っていた説もある。"


写真は西安の華清池に立つ楊貴妃の像。長恨歌にはこうある:
長恨歌 - Wikipedia: "春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂・・・・・春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。"

「温泉ノ水 滑ラカニシテ 凝脂ヲ洗フ」という文句は、おいらが中学生の時、国語のセンセーに覚えさせられた。「エムシー」というあだ名の怖い先生だったが、人並みにスケベーだったのかな。

2009年6月15日月曜日

日経「らいふプラス」:なぜか”褒め合い族”

日経夕刊は、大衆迎合のムラ・エコロ記者が多くて敬遠気味だったのだけれど、これは面白かった。最近のニッポンでは、ただただ褒め合う大人が増えてきたらしい、このココロは?……とのレポート:

  1. 伊勢丹浦和店では営業成績グラフに褒め言葉をやたらに連発する。名付けて「褒めあいカード」。社員には大好評。
  2. 就職活動を控えた学生向けセミナーを運営する企業でも、学生は思いっきり褒めることにしている。おかげで高い受講費にもかかわらず大繁盛している。
  3. 「特に若者に自信が持てない人が目立つ」と企業研修を手がける企業の代表者。そのため従業員の美点を探すビジネスも登場している。従業員を褒めることで業績アップにつながるという。
  4. 伊勢丹アイカードでも「褒めあいカード」を導入してから「職場の結束が強まった」という。
  5. 褒め言葉がパソコン画面いっぱいに次々現れるサイト「ほめられサロン」すら登場。最近は一日15万件を超えるアクセス。
  6. なぜそうしてまでして褒められたいのか。一部では反骨心の喪失につながるとの懸念する声もある(白梅学園大学学長汐見氏)。「いざこざを避けるため、安易に褒めている面があるのではないか」と北海道教育大学の伊藤進教授。「脳にとって褒め言葉はお金と同じ」とは自然科学機構の定藤教授。
  7. 安易な褒め言葉に慣れた人は、もはや叱れないのではないか。そんな不安を感じる向きもある。

要は、甘ったれの精神がニッポンに広がってしまったと言うこと。何でもかんでも苦しいからといって補助金と地方交付税にすがるという精神もここからでているのである。「一億総タカリ」現象。褒め言葉のインフレは貨幣価値のインフレにつながる。あまりニッポンの将来に楽観的にはなれない。

6/15 Today エラ・フィッツジェラルドが死ぬ(1996)

エラ・フィッツジェラルド - Wikipedia: "エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald 1917年4月25日 - 1996年6月15日)はアメリカ合衆国のジャズ・シンガー。サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイと並び称される女性トップ・ジャズ・ボーカリストの一人。

13回のグラミー賞受賞に加え、イェール、ダートマス、プリンストン大学において名誉博士号を授与され、ジョージ・W・ブッシュ大統領からは大統領自由勲章を授与されるなどレコードセールス、批評の両面で高い評価を受けた。

Lady Ella、またはThe First Lady of Jazzとも呼ばれている。"
合掌。


2009年6月14日日曜日

NHKニュース:鳥取のスイカ、ドバイに一個三万円で輸出!

このニュース:
山陰中央新報 - 鳥取のスイカをドバイに輸出: "糖度一一度以上で重さ十二キロ前後の大玉五十四個を厳選し一個ずつ箱詰めした。現地では「鳥取中央スイカ」のブランド名で販売。価格は一玉三万円程度という"
とても結構なことだと思う。ボルのならアラブのバカなお金持ちからだけにして欲しい。ニッポンの農村が日本の貧乏な都市住民を搾取するのは、もうやめて欲しいと思う。

一個十万円のマンゴーとか、一個20万円のメロンとか、もうたくさん。おいら都市住民は、自民党イナカバラマキ政治のおかげでヒャクショウに搾取されまくり、おかげですっかりビンボーになってしまった。もう、ない袖は振れません。

その意味で、日本の都市住民からボルだけボルという従来の政策を見直し、アラブの金持ちにターゲットと絞った鳥取農協は先見の明がある。どんどんやって下さい。おいら都市住民は、とてもお付き合いできかねるから。

「このままオタクが増え続ければ日本人は道を誤る」(久間十義)

今朝の日経文化欄で作家の久間十義が大切なことを言っている。オタクたちの「萌え」志向や世界観が世の中で支配的になれば、私たちはますます衰弱して、リアリズムが貫徹する他国の人々に軽んじられることになるという。メモ:
  1. 私はかねがね、オタクや腐女子と呼ばれるアニメやゲーム漬けの若者たちが増殖することに、かすかな懸念を抱いてきた。
  2. 私たちは小説や批評を読むことによって、生活の真実を知り、また生きてゆくための規範や行動の基準のようなものを学ぶ。流行歌もそう。マンガやアニメもそう。ここにあるのは自らに何らかの役割を振り、その役割によってようやく自分たち得る私たちの姿である。
  3. こうした前提を認めれば、オタクや腐女子では「萌え」が判断基準になり、行動の準則になることは明瞭だろう。彼らはどっぷり浸かっているゲームやアニメの世界を生きて、いま、ここにある現実を生きようとしないように見える。その結果、ついついリセットできるゲーム感覚で国際折衝に臨み、外国人に鼻面を引き回されることだって起こりうる。
  4. 百年に一度と喧伝される経済危機の中、財政出動を決意した政府が、世界に冠たる日本のアニメ文化を発信するためアニメの箱物を作るという。「萌え」は老人により先取りされているらしいのだ。私の短絡や懸念と重ならないことを祈るばかりだ。

こういう発言をするのは、いまのニッポンでは勇気が要ることとなってしまった。この人は知らない作家だが、エライと思う。たしかにアニメが好きな内閣総理大臣による「アニメ箱物」プロジェクトは見苦しい。

6/14 Today ボルヘスが死ぬ(1986)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス - Wikipedia: "ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、アルゼンチン ブエノスアイレス生まれの小説家、詩人。本名、ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード。代表作として、『伝奇集』、『幻獣辞典』など。ダンテの『神曲』を「あらゆる文学の頂点に立つ作品」と称え、講義集を残している。"

国家が衰退していくときにもでも芸術は生き残ることがある。でも長くは続かない。ボルヘスもアルゼンチンが豊かであった時代の落とし子なのである。

アルゼンチンは、国民が圧倒的に支持したペロンのバラマキ主義ポピュリズムのせいで、世界有数の富裕な国から世界有数の貧乏国に落ちぶれてしまった。ボルヘスは、このポピュリズムを蛇蝎の如く嫌ったが、しょせん多勢に無勢。最後は国を捨ててスイスで死ぬ。

ボルヘスは母国語であるスペイン語よりも英語で書くことを好んだ。英語の方が、言語の構造上、感情を直接伝えることが出来るというのだ。たとえば形容詞に接尾語をくわえて出来る形容動詞だが、英語なら "rapid" に"ly" を加えて "rapidly" となるがアクセントは前に付くので "rapid" が強調される。それに対してスペイン語の接尾語は"mente" となりおまけに最後から二番目の母音にアクセントが付くので、無意味な音が強調されてしまい詩的ではないという。これは中世のスペイン言語院が機械的にルールを決めたためだが、同じような例を明治以降の「現代日本語」や韓国語にも見られる。将軍様の大本営発表ニュースが「ハムニダ」ばかり目立って滑稽なほど単調なのもそのためだ。

荷風も同じ理由で明治以降の日本語を嫌った。文語の方がよほど美しいのである。文語漢語が多い荷風作品はそういう観点からもっと読まれてしかるべきだと思う。

2009年6月13日土曜日

豚インフルエンザのワクチン、ノバルティスが製造開始!

さっそくワクチンが:
ブタフルワクチンもう製造: "ボイスオブアメリカ(VOA)によれば、いち早く、スイスの丿バルティス社がブタフルのワクチンを製造したそうです。鶏卵を使うのではなくcell-basedの製造というから凄い技術力です。しかも、臨床試験を来月7月から行うそうです。さすが丿バルティスですね。"
ノバルティスは買いかな!

NVS: Summary for NOVARTIS AG

きのう一日で4%も上がった。高齢者は免疫を持っているらしいからそんなに売れないとは思うけれど、対応のスピードが速い。

6/13 Today 明智光秀が死ぬ(1582)

明智光秀 - Wikipedia: "明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系で摂津源氏の傍流で、美濃源氏の流れを汲む土岐氏の支流である明智氏。妻は、妻木煕子。その間には、嫡男・光慶(十五郎)、織田信澄室、細川忠興室・明智珠(洗礼名:ガラシャ)がいる。

本能寺の変から11日後の天正10年6月13日(西暦7月2日)、新政権を整備する間もなく、本能寺の変を知って急遽毛利氏と和睦して中国地方から引き返してきた羽柴秀吉の軍を、現在の京都府大山崎町と大阪府島本町にまたがる山崎で迎え撃つことになった。同日深夜、坂本を目指して落ち延びる途上の小栗栖(京都市伏見区)で、落ち武者狩りの百姓・中村長兵衛に竹槍で刺し殺されたとされる。"


光秀の造反の理由にはいろいろ説があるらしい。ともあれ、信長はたいへんな人だったってことは事実。周りの人はたいへんだった。

娘のガラシァ夫人のお墓は紫野大徳寺の高桐院にある。あそこには小さいけれど京都屈指の美しい庭がある。

2009年6月12日金曜日

6/12 Today 中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺(645)

大化の改新 - Wikipedia: "皇極天皇4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自殺。蘇我体制に終止符を打った。"
殺そうと段取りを付けるだが刺客役がびびってしまいなかなかうまく行かない。この日の経緯についての日本書紀の記述は、臨場感に溢れている。

ここに現代訳があった:
乙巳の変 - Wikipedia:"645年、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。中大兄皇子と鎌子はこれを好機として暗殺の実行を決める。(大織冠伝には三韓の使者の来日は入鹿をおびき寄せる偽りであったとされている)

同年6月12日、三国の調の儀式の儀式が行われ、皇極天皇が大極殿に出御し、古人大兄皇子が側に侍し、入鹿も入朝した。入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣をはずさせていた。中大兄皇子は衛門府に命じて宮門を閉じさせた。石川麻呂が上表文を読んだ。中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌子は弓矢をとってひそんだ。海犬養勝麻呂に二振りの剣を運ばせ佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に与えた。

入鹿を斬る役目を任された二人は恐怖し、飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。鎌子は二人を叱咤した。石川麻呂が表文を読み進めるが子麻呂らは現れない、恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。不審に思った入鹿が「なぜふるえるのか」と問うた。石川麻呂は「天皇のお近くが恐れ多く、汗が出るのです」と答えた。

中大兄皇子は子麻呂らが入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。子麻呂らも飛び出して入鹿の頭と肩を斬りつけた。入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。入鹿は倒れて天皇の御座へ叩頭して言った「私に何の罪があるのか。お裁き下さい」。天皇は大いに驚き中大兄皇子に問うた。中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えた。皇極天皇は直ちに殿中へ退いた。子麻呂と稚犬養網田は入鹿を斬り殺した。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。"


騙されて武装解除をしてしまったのが入鹿の敗因。

ちなみに、人間は極度に緊張すると嘔吐してしまう。入鹿暗殺の時の刺客もそうだが、前世紀ではピストル決闘を前にした若者とか、今世紀ではノルマンディー上陸作戦での上陸艇上の兵士とか。大薮春彦小説の主人公ですら突撃の最中は恐怖のあまり失禁する。こういう経験をしてない世代は、しょせん甘い人生しか過ごしてこなかった世代であり、まさかの時には役に立たないのではないか。エコで自己満足しているようじゃ将軍様に勝てない。

2009年6月11日木曜日

第5回三菱UFJ信託銀行劣後債……当たりました!

利率2.52%、8年債(実質3年)、おいらにも回ってきた。

中央三井信託銀行の劣後債は、申込み初日の朝一で電話したのに、まだ「順番待ち」。えこひいきされているのかな〜。

発行機関と販売会社は透明性のある公平な割り振り方法を決めて公表するべき。

だいたい普通の人が社債発行の事実を知るときには、良い条件のものはたいてい売り切れている。前広に情報を集めることがキモ。大サービスでとっておきの情報源を公開。このサイト(↓)は役に立つ:

個人向け社債ウォッチ!


6/11 Today ジョン・ウェインが死ぬ(1979)

ジョン・ウェイン - Wikipedia: "ジョン・ウェイン(John Wayne,本名Marion Robert Morrison,1907年5月26日 - 1979年6月11日)は、アメリカの俳優。「デューク」の愛称で呼ばれた。1979年6月11日にカリフォルニア州ニューポートビーチで胃癌で死去"
合掌。

とにかく単純明快なのがいい。安心して映画を見ていられる。この世の中、ややこしくって深刻なことでいっぱい。せめて映画だけでも単純で明快なのがいい。

2009年6月10日水曜日

「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

きのうの日経夕刊「プロムナード」で鹿島茂が面白いことをいっていた。続きが来週にあるらしい。メモ:
  1. 日本人、特に若い世代の「内ごもり」傾向が顕著である。自発的な「鎖国」のように見える。
  2. でも若い女性はそうではない。「外向き」である。すべての統計と個人的経験がそれを物語っている。なぜ男性は「内ごもり」で女性は「外向き」になるのか。外への脅えが男子にのみ著しく、女子には希薄なのはなぜか。
  3. それは、デズモンド・モリスによると、人類のほとんどが外婚(女子が部族から出て他の部族に嫁ぐ)という形式をとっていることと関係するという。
  4. 現在、日本で女子の方が国際交流や海外留学に積極的なのは、それが「本来の姿」だから。自然に放置しておけば、男子は外に出ようとはぜず、内にこもってしまう傾向が強いのである。
  5. しかし、明治・大正・昭和の時代は男子も「外向き」を余儀なくされた。これは「例外的」な時代であった。平成になり、社会は大きく変わり、「内ごもり」が状態と化した。
  6. では、いったい、平成になって、なにが変わったのか? これについては次回(来週)。


もったいぶらずに結論を先に言えばいいのに。でも気になる。

Safari 4.0 は良いですな!

マックを立ち上げると新しい Safari にアップデートしろと言うのでやってみた。すごく使いやすいですな。

いろいろ新しくなっているらしい(ここ)。むつかしいことは解らないけれど、インターフェイスがこれまでと全く違って、ページをめくるような感覚でよく使うサイトや履歴をめくることが出来る。こんな技術進歩なら大歓迎。

6/10 Today アレクサンダー大王が死ぬ(BC323)

アレクサンドロス3世 - Wikipedia: "アレクサンドロス3世(ギリシア語:Αλέξανδρος ο Μέγας、ラテン文字転写:Aleksandros III Megas、紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位前336年 - 前323年)はマケドニア王国のテメノス朝のバシレウス(国王)として即位、後にコリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物。アレクサンドロス大王とも呼ばれるが、この場合は英語読みでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。"
アレクサンドロス3世という名前でも解るように歴とした「世襲政治家」。

日本の世襲政治家が批判されている。でもアレキサンダー大王は、幼少の時より父親にアリストテレスを「家庭教師」として付けて貰うなど徹底した英才教育を受けた。世界の動植物を集めたりして古典的ギリシャ教養と博物学をアリストテレスに学んだ。成人したときには充分な世界観を持っていたのである。世襲制度の善し悪しよりも、どれだけ学んだかで結果を判断されなければいけない。

同じ世襲政治家でも、いまのニッポンの世襲政治家が父親から教えてもらうのは、ムラ的選挙地盤の維持方法や選挙資金捻出の小賢しいテクニックだけ。これじゃ世のためにならない。このような状況では政治家の世襲はやめた方がいい。

2009年6月9日火曜日

6/9 Today ディッケンズが死ぬ(1870)

チャールズ・ディケンズ - Wikipedia: "チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。ポーツマスの郊外に生まれた。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。作品は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など。1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣に肖像が描かれている。"


エライ作品が多いのだが、あまり幼いときに読んでしまうと面白みが解らない。おいらも卵焼きを作るときは小麦粉を入れると量が増えるとかいうくだりぐらいしか覚えていない。大人になったからもう一度読んでみよう。

まだ読んでない古典がいっぱいある。とても今どきの小説なんか読んでるヒマはない。

2009年6月8日月曜日

「”KY”と”上からの目線”を意識する若者に世の中へのおびえを見てしまう」(清水義範)

日経夕刊の「プロムナード」で名言を拾った。清水義範は、言葉を選びながらも、ああいう風潮はとてもカッコ悪いという:
  • とても周囲のことを気にしているんだなあ、と思う。全体の和を重んじる、というのが日本人の精神構造の根っこにあるのは知っているが、若い人も、そのことをかなり強く意識しているのだ。むしろ、空気を読めない人間と思われ、全体からはみ出してしまうのを恐れているんじゃないだろうか、という気すらする。
  • 「上からの目線」。若い人は集団の中にいる時、自分がどのランクに見られているのかということをものすごく気にしているのだ。高く見られているのか、低く見られているのかをピリピリして感じ取っていて、ひどく傷ついたり、ムカツイたりしているのだろう。
  • 生まれてはじめて幼稚園に入った子が、いろいろ傷つきながら社会性を身につけるようなことを、社会に出たぐらいの若者がピリピリかんじているような、世の中へのおびえを見てしまう。

これは「名言集」に収録。「今どきの若者は……」というたぐいの発言でもないと思う。今の若者はものすごく古代ニッポン人の農村ムラ的精神風土への「先祖帰り」をしているのである。恐ろしいくらいだ。それがいいことだとするのが「ポリティカリーコレクト」なのかも知れないが、マッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」と言い放ったように、あまり国際的にはカッコイイものじゃない。

おいらも前から気になっていた。例えばこんなことも書いた:

日経:「目立ちたくない!」近頃の子供たち……心配、“モヒカン族”頑張れ!

Letter from Yochomachi: 「"KY"から"AKY"へ」(日産自動車相談役名誉会長、小枝至)

2/26 Today 2・26事件(1936)……この幼児性こそが問題だった

Letter from Yochomachi: 麻生太郎の限りなき「軽さ」

NHK/「ホームランを打った気持ちは?」

これは学校教育の問題というよりは、NHKをはじめとするマスコミを動員して「みんな一緒に仲良く楽しく地球にやさしい」とかの文化で国民を洗脳することで、自分たちへの利益誘導を狙う一部の既得権集団が組織的に演出した陰謀なのだろうと思う。洗脳されてしまった若者たちが不憫でならない。

ソフトバンク社債、買えず!

これ:
第27回無担保社債発行に関するお知らせ | ソフトバンク株式会社: "第27回無担保社債発行に関するお知らせ"

危なっかしそうだったけれど二年は大丈夫だと思ってこわごわ申し込んでいたものだが、枠がとれなかった。そうなると惜しかったと思うのは人間の心理か。

海の向こうと違ってニッポンシステムのもとでは会社は簡単には潰れない。高利回りの社債は狙い目かもしれない。

今月もかなりの個人向け社債の発行が予定されている。ポンプ会社のCBなんかも狙い目か。

6/8 Today ムハンマドが死ぬ(632)

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "ムハンマド(محمد Muḥammad 570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖。アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラーム教では、モーセ、イエス・キリストその他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている[1]。また世俗君主としても有能であり、アラビア半島にイスラームの神権国家を打ち立てた。"

伝承によればムハンマドの妻は22人。艶福に恵まれた人であった。天国についても次の発言で知られる:
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "イブン・カスィールによれば、ムハンマドは『天国では男性は一日100人の処女(フーリー)とセックスが出来る』と述べていた[25]。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている[26]。"
ところが、これは誤訳であるという学説が出現した。

この学説とはこれ。ルモンド記事を拙者が翻訳した:
Le Monde (余丁町散人) コーランに書かれている天国の処女達とは単なる白い果物のことだったのか?: "もっと驚くべきことは、コーランで有名な天国の楽園の処女達とは単に葡萄の実のことであったとする解釈だ。(コーランに書かれている天国で待ち受けているという)「目が大きい処女達」とは「クリスタルのような白い果物」と読むべきとのことだ。"

こっちの方が確かに道徳的だ。

2009年5月31日日曜日

5/31 Today ボーア戦争終結(1902)

ボーア戦争 - Wikipedia: "ボーア戦争(ボーアせんそう、Boer War、Anglo Boer War)は、イギリスと、オランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争った二次にわたる戦争。南アフリカ戦争、ブール戦争ともいう。
第二次ボーア戦争(Second Boer War)は、独立ボーア人共和国であるオレンジ自由国およびトランスヴァール共和国と、大英帝国の間の戦争(1899年10月11日 - 1902年5月31日)。長い激戦の末、2つの共和国は敗北し、大英帝国に吸収された。"

昨日ボーア戦争のことを書いたのでその続き。

この戦争でイギリスが「発明」した新兵器が「強制収容所」:
ボーア戦争 - Wikipedia: "1900年6月ごろより、英軍司令官のホレイショ・キッチナーは、ゲリラとなったボーア軍支配地域で強制収容所(矯正キャンプ)戦略を展開しはじめる。これによって12万人のボーア人が強制収容所に入れられ、さらに焦土作戦を敢行。広大な農地と農家が焼き払らわれた。この収容所では2万人が死亡したとされる。"

ゲリラ戦に勝つには、中世の戦争のように皆殺しをしないならば、結局この方法となる。現代では許されない非人道的方法。ということは、現代社会ではテロとの戦い(ゲリラ戦)に勝つことはきわめてむつかしいということ。

2009年5月30日土曜日

GE 買い増し

@13.20 で買い増し。ひどい目にあっているが、これ以上悪くはならない(と思う)。

落ちたナイフがいま跳ね返っているところ。もう二三バウンドあるかも知れないが、とにかくおいらはGE神話を信じている。

配当利回りは実に9.4%。


5/30 Today ジャンヌ・ダルクの火刑(1431)

ジャンヌ・ダルク - Wikipedia: "ジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne Darc, Jeanne d'Arc[1], ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(la Pucelle d'Orléans)とも呼ばれ、フランスの国民的英雄であり、カトリック教会で聖人。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。"


イギリスはいろいろ間違ったことをやって来たが、ジャンヌ・ダルクを焼き殺したこととボーア戦争は、最大の倫理上の間違いであった。でも、ちゃんと反省しているところがエライ。ここ:
5/31 Today ボーア戦争終結(1902)……強制収容所とジンゴイズム(愚民愛国感情)と「食の安全」: "この戦争は、チェンバレンとセシル・ローズ以外の誰にとっても不必要な戦争だ。しかしこの戦争のおかげで。イギリスは世界中から忌み嫌われている。私はイギリスが(百年戦争で)ジャンヌ・ダルクを焼き殺して以来、これほど道徳的に間違ったことをしでかしたことはないと確信する。(ゴールドウィン・スミス)"

過ちを正当化しようとする姑息な態度が一番いけない。

2009年5月29日金曜日

5/29 Today 与謝野晶子が死ぬ(1942)

与謝野晶子 - Wikipedia: "与謝野 晶子(よさの あきこ、正字体:與謝野晶子、明治11年(1878年)12月7日 - 昭和17年(1942年)5月29日)は明治時代から昭和時代にかけて活躍した歌人、作家、思想家。大阪府堺市(現在の堺区)出身。旧姓は鳳(ほう)。戸籍名は「志よう」。ペンネームの「晶子」の「晶」はこの「しよう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。"

与謝野馨は彼女の孫。

やはり一番印象深いのはこの歌:

 君死にたまうことなかれ

 ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば   親のなさけは まさりしも
 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと をしへ(教え)しや
 人を殺して死ねよとて  二十四までを そだてしや


 堺の街の あきびとの  旧家をほこる あるじにて
 親の名を継ぐ君なれば  君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも  ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの  家のおきてに無かりけり


 君死にたまふことなかれ、 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
 おほみづからは出でまさね  かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこころの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。


 ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに  おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に いたましく わが子を召され、家を守(も)り
 安しときける大御代も  母のしら髪(が)は まさりぬる。


 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや 十月(とつき)も添はで わかれたる
 少女(をとめ)ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき  君死にたまふことなかれ。

与謝野晶子






与謝野馨も、祖母に倣って、言葉を明晰にしてほしいな。

2009年5月28日木曜日

NHK:クローズアップ現代「木くずでCO2を減らせ」……ほんとに温暖化の防止になってるのかね?

憂鬱になってしまったこの番組:
クローズアップ現代 NHK:"5月28日(木)放送 新たなエネルギー “木くず”でCO2を減らせ

CO2削減が急務となる中、木くずを利用することで効果的に削減しようという動きが加速している。重油で自家発電していた工場が燃料を木くずから作る木質チップに転換したり、売電専門の「木質バイオマス発電所」も現れるなど、木くずの需要は急増。化石燃料と異なり、木質チップを燃やしても森が成長すれば再びCO2が吸収されるので、CO2排出ゼロと計算されるためだ。"
要は、山林所有者へもっとお金を回せと言う政治的なプロパガンダ番組。こんなことが地球温暖化防止に本当に役に立っているかという科学的な疑問はまるで無視されている。

間伐材を燃やしても二酸化炭素の排出にカウントされないという制度の抜け道をうまく利用しただけの話ではないのか。燃やさなければなおいいという事実はまるで無視されている。そもそも二酸化炭素と地球温暖化の関係や、さらには地球温暖化が何故悪いのかと言うこともまったく棚に上げられて、あるのは環境を錦の御旗として小賢しく儲けようとする農村地主と山林保有者の利益追究精神と、そのお先棒を担ぐ宣伝塔と成り果てたNHKの報道姿勢だけ。毎度のことながら「クロ現」は地主の利益代弁番組でとてもクサイ。気持ちが悪くなる。

そもそも地球は寒冷化に向かっている。インドネシアなんかで一発火山が噴火すれば地球はいっぺんに寒冷化する。何がCO2だ。何が温暖化だ。でも、それで儲けようとする利権集団にとっては「温暖化防止」は絶好のビジネスチャンス。あいつらこそ「利潤至上主義者」ではないのか。

もっと宮脇先生の学べ!

「日本の雑木林はニセモノだ、本来の森に帰せ」(宮脇昭)


5/28 Today 阿部定が生まれる(1905)

阿部定 - Wikipedia: "阿部 定(あべ さだ、1905年5月28日 - 現在は消息不明)は、阿部定事件の犯人。東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。"

写真は阿部定逮捕直後のものだという(Wikipedia)。というと周りの男たちは警察関係者か。阿部定も含め全員で笑っているのがいかにも異様。

2・26事件が起こるなど、当時はとても暗い時代だった。人々は少しでも「明るい話題」に餓えていたのだ。

2009年5月27日水曜日

ニッポンの牛肉も、ようやくBSEの危険がなくなった!

喜ばしいことである:
NIKKEI NET(日経ネット):国際ニュース-アメリカ、EU、アジアなど海外ニュースを速報: "パリ=古谷茂久】食肉貿易の安全基準などを定める国際獣疫事務局(OIE、本部パリ)は26日、日本産牛肉のBSE(牛海綿状脳症)の安全性について「リスクを管理している国」に認定することを決めた。国産牛のBSEに関する安全性が国際的に認められたことを示す。これを受けて農林水産省は牛肉の輸出拡大に乗り出す。

 OIEは世界各国で生産される牛肉の安全性を、BSEの発生が無い「リスクを無視できる国」、適切に生産管理をしている「リスク管理国」、その他の「リスクが不明の国」の3つに分類している。日本政府は昨年12月に「管理国」への認定を申請し、同日開かれたOIEの総会で承認された。28日に正式採択される。「管理国」には米国やフランスなどすでに31カ国が認定されている。"
これで、ようやくニッポンの牛肉を食っても命の危険がないと国際機関のお墨付きがとれたのだ。その事実(国産牛肉は危険だったという事実)をご存じでしたか?

それにしても、いままでニッポンの農水省がやっていたキャンペーンはなんだったんだろう? ニッポン以外の牛肉は全部危険だと強引にナイーブな消費者を騙して農村利益共同体の既得権を守るために「地産地消」を強力に進めてきていたのだ。実際はとても危険な食材だったのである。その事実をほとんどの国民は知らされてこなかった。

この危険な国産牛肉が、国際価格の十倍の値段で、これこそ安全だと信じてきたナイーブな消費者に売られてきた。消費者は危険でバカダカイ国産牛肉こそが安全だと信じていままで買わされきたのである。まことにアホらしいことである。

ニッポンの金持ちは、板橋の資産家夫婦のような、元農家の地主ばかりになってしまう所以である。

5/27 Today 日本海海戦「本日天気晴朗なれど波高し」(1905)

日本海海戦 - Wikipedia: "日本海海戦(にほんかいかいせん, 1905年5月27日 - 5月28日)は、日露戦争中に日本とロシア帝国との間で戦われた海戦である。

1905年5月27日午前2時45分[8]、九州西方海域203号地点にて連合艦隊特務艦隊、艦長成川揆大佐指揮の仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊の病院船「アリヨール」の灯火を夜の海上に発見した。接近して無灯火航行中の他の艦を多数確認し、4時45分、第一報にて「敵艦見ユ」を意味する「タタタタ(実際はタの連送)」で始まる「敵艦203地点ニ見ユ0445」を打電した。

5時05分、連合艦隊全艦艇に出撃が下令された。連合艦隊は大本営に向け「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した。"


「日本海大海戦」と言うから日本海のど真ん中での海戦と思いがちだが、場所は対馬海峡。九州と山口県のすぐ近く:



ヨットレースでもそうだが、海での戦いは地元側が圧倒的に有利。

2009年5月26日火曜日

農村地主はやっぱりすごい!

このニュース:
asahi.com(朝日新聞社):生存中に油? 恨みと金品、両面で捜査 板橋・放火殺人 - 社会: "「おれの飲み代は月300万円と言っていた」"
板橋の資産家夫婦殺人事件。被害者は元農家の地主さんだという。お気の毒だとは思うが、ニッポンのお金持ちは、どうしてこんな人たちばかりが多いのだろうか。

被害者となった奥さまも、深夜、パチンコからのお帰りだったという。

自民党が牛耳るニッポンの農村への利益誘導型の社会経済システムでは、こういう人たちにお金が集まることとなっている。マクロ経済的には誰がお金を持とうと同じことだが、その結果、ヒャクショウと呑み屋とパチンコ屋だけに富が集中し、ニッポンの文化はいよいよ衰退することとなる(文化とはスポンサー次第なのだ)。

ヒャクショウ文化の何が悪いと主張するポリティカリーコレクト論者には、もううんざりである。

「労働組合の強い会社にはお金を貸せない」(吉崎達彦)

今日の「クローズアップ現代」は、めずらしくいい番組だった。双日の吉崎氏が名言を:
クローズアップ現代 NHKどうなるGM~オバマの“再建”戦略~ :"アメリカの自動車メーカー、ゼネラルモーターズが経営破たんの危機に立たされている。アメリカ政府は、5月いっぱいを再建計画提出の期限と決めており、GMは債権者や労働組合との交渉を続けているが難航している。(スタジオゲスト : 吉崎 達彦さん)"

GM社債を持っていた人は、GM株よりはマシだと思って買ったはずなのに、GM株を買ったアホよりも損をすることになる。これはいくらなんでも不条理。吉崎達彦氏の指摘はするどい。

吉崎氏は、ずいぶん前に会合でご一緒したが、頭のいい人という印象だった。三つ子の魂百まで、頭のいい人はいつまでも頭がいい。頭の悪い人はいくら年月を経過しても頭が悪いまま。おいらもいつまで経っても頭が悪いガキのまま。

そういう「ファクト・オブ・ライフ」を前提に、みんな「自分なりの」幸せを追求したらいいのじゃないのかな〜。

5/26 Today 三浦環が死ぬ(1946)

三浦環 - Wikipedia: "三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 東京府 - 1946年(昭和21年)5月26日)は、おそらく日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。"
余生は山中湖で暮らした。三浦環のお墓は山中湖の寿徳院にある。一度書いた(ここ)。

国際的なプレマドンナだったが、その活動はほとんど海外でのもの。日本では彼女の評価はそれほど高くはないようだ:
三浦環 - Wikipedia: "声質は様々に言い伝えられており、「どこかか細く頼りなかった」とするものや、「どちらかといえば声量は少なかったが透明感があった」とするものがある。また声楽家の藍川由美は自著『「演歌」のススメ』の中でレコード録音された三浦の演奏を聴いて「歌詞の発音や発声法、音程、リズムなど、どれをとってもけっして褒められたものではない」と評し、日本人のなかにある「三浦環 世界のプリマ伝説」に対し疑問を呈している。"

藤田嗣治と同じで、ニッポンでは「国際的に有名」な芸術家は、同業者から妬まれてしまうのかも知れない。

2009年5月25日月曜日

5/25 Today ロバート・キャパが地雷に触れて死ぬ(1954)

ロバート・キャパ - Wikipedia: "ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913年10月22日 - 1954年5月25日)は、ハンガリー生まれのアメリカの写真家。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー (Friedmann Endre Ernő)。ハンガリー人は姓が名前の先に来るためハンガリー語の発音に近い「カパ・ローベルト」と表記されることもある。ユダヤ系。
スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の五つの戦争を取材した、20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家として有名である。"
写真はキャパの「崩れ落ちる兵士」(スペイン内戦、1936)。

20世紀は「戦争の世紀」だった。19世紀も「戦争の世紀」だった。18世紀も、17世紀も…………。人間の歴史は戦争の歴史でもある。

2009年5月23日土曜日

英ガーディアン紙:ネアンデルタール人が絶滅したのは多分人間が彼らを食ってしまったから

科学的な報告ですぞ:
The Observer, Sunday 17 May 2009 How Neanderthals met a grisly fate: devoured by humans : "One of science's most puzzling mysteries - the disappearance of the Neanderthals - may have been solved. Modern humans ate them, says a leading fossil expert.

The controversial suggestion follows publication of a study in the Journal of Anthropological Sciences about a Neanderthal jawbone apparently butchered by modern humans. Now the leader of the research team says he believes the flesh had been eaten by humans, while its teeth may have been used to make a necklace."

肉は食って、歯はネックレスにしたというのが、かわいい。

この学術報告に対して頭の固い人はカンカンになって怒っているらしい。人間に「食人習慣」があったとか言う話はタブーなのである。

『ひかりごけ』を読め。ネアンデルタール人よりずっと最近の出来事だぞ:




これに限らず、人間社会には触れてはいけないタブーが多い。特にニッポンでは「ポリティカリーコレクト」が最優先される。これじゃ科学の進歩はない。

2009年5月21日木曜日

NHK:クローズアップ現代「外食激安バトル」

タイトルからして扇動的:
"クローズアップ現代 NHK節約志向の客をつかめ
~外食“激安”バトル~

いま外食産業の間で激しい値下げ競争が繰り広げられている。牛丼330円、280円均一居酒屋、サラダ・デザート食べ放題で1050円のステーキハウス…。背景に有るのは、100年に一度の大不況のなか、かつてなく高まる消費者の安さを求める声だ。しかし、"激安"が恒常化するなか質の低下などが原因で、客離れに直面するなど、弊害も出始めている。そうしたなか、不況の中でも消費者を引きつける付加価値はないのか、低価格以外の方策を模索する動きも起こっている。"
低価格化は至極もっともな動きだと思う。いままでの食い物屋商売は儲けすぎだったことの反動に過ぎない。ニッポンでは食い物を作る人間がボリすぎなのである。現在の「激安バトル」は、これを正常化する動きだ。

ところがクニヤはそれが不満のようだ。値段だけじゃない付加価値とかなんとか言って、バカダカイ国産牛の安い部位を使う「国産ハンバーガー」の成功例などを紹介して得意になっている。トンでもない。

ハンバーガーは肉の味が勝負ですよ。最上級の肉をハンバーガーにするのである。国産牛というだけで80円も高く、おまけに安い劣等部位を使ったハンバーガーとは、単なる「屑肉」でしか過ぎない。そんなゲテモノはクニヤが食えばいい。おいらは断固、良質の輸入牛肉のファンだ。

「クロ現」はあまりにも政治的(自民党的)。農村共同体の利益を第一に考え都市住民主体の国民の利益を無視する番組ばかりで、辟易する。

5/21 Today 長篠の戦い(1575)

長篠の戦い - Wikipedia: "長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたとされるが、様々な論点に異論が存在する。"


黒澤の映画「影武者」でのような「カッコイイ」戦ではなかったという。当時の戦では騎馬武者一騎が歩兵の一族郎党を引き連れて行動していたから「騎馬集団」というものは形成されなかったらしい。それに当時の馬も黒澤映画みたいなサラブレッドではなくずっと小ぶり。でも伝説は一旦作られてしまえば、みんなそれを信じるのである。

2009年5月20日水曜日

NHK「クローズアップ現代」:漢字検定事件……ニッポンの固有問題を如実にあらわした事件だった

クローズアップ現代 NHK"検定ブームの火付け役となった日本漢字能力検定協会。その前理事長と副理事長の大久保親子が背任の疑いで逮捕された。協会は収益を社会に還元することが義務付けられている公益法人。にもかかわらず、検定料で潤う協会を“私物化”していたと指摘されている。"

堀田力がクニヤと意気投合していたが、問題の本質は違うと思う。断言できる。「すべての」公益法人は収益の私物化が目的で設立されているのである。漢字検定はたまたま受益者が創業者家族であったのだが、他の公益法人の受益者は「官僚OB」であるという違いだけ。

利益を家族で私物化することと役人の老後の福祉に使うことには、なんの違いもない。公益法人とは、余分な仕事を国民に押しつけ余分の出費と税金をあいつらで配分するための仕組みである。具体的な例を挙げるのは止めるが「公益法人」とはそういうもの。漢字検定協会は官僚OBに利益を配分するのをケチったから摘発されたに過ぎない。それをしかたがないと諦めるのがニッポンでは大人になるための「通過儀礼」とされている。これじゃダメだ。

公益法人は株式会社化するべきである。すべて営利事業とするのだ。儲けることが出来るなら大いに結構。儲からなければ倒産させる。それが公平である。

5/20 Today メートル条約が締結、世界計量記念日(1875)

メートル条約 - Wikipedia: "メートル条約( - じょうやく、仏: Convention du Mètre)は度量衡の国際的な統一を目的として、1875年5月20日に成立したメートル法に関する条約である。14ヶ条の条約本文と附録規定から成る。当時、17ヶ国の代表によりフランス・パリで締結された。現在の条約加盟国は51ヶ国。1921年10月6日にセーヴルで署名した改正条約により一部が改正されている。"


でもいまだにメートル法を使わない国がいる。イギリス製のボートなんか買うとネジが合わないので大苦労する(ここ)。ヨット屋さんに言わせるとフランス製のボートはメートル法なのでとても助かるとのこと。

2009年5月17日日曜日

5/17 Today 團伊玖磨が死ぬ(2001)

團伊玖磨 - Wikipedia: "團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 - 2001年5月17日)は、日本を代表するクラシック音楽の作曲家であり、エッセイストでもある。東京に生まれ、蘇州にて客死した。オペラ、交響曲から歌曲、童謡、映画音楽、放送音楽と、幅広いジャンルを手がけた。

2001年5月17日 平成13 - 77歳 日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中、心不全のため蘇州市の病院で逝去。戒名は鳳響院殿常楽伊玖磨大居士。"

團伊玖磨は、小生が永井荷風とともに尊敬する人物です。合掌。

小生が作った「パイプのけむり」全巻の総索引を Google Docs で公開します。エクセルデーターベースですがエクセルなしで読めるはず。これは團伊玖磨がどこかで言っていたはずと言う事項を探すのにとても便利です。

「パイプのけむり」INDEX

2009年5月16日土曜日

5/16 Today サミー・デイヴィス Jr. が死ぬ(1990)

サミー・デイヴィスJr. - Wikipedia: "サミー・デイヴィスJr. (Sammy Davis Jr. 、- ジュニア、本名:Samuel George Davis, Jr. 、1925年12月8日-1990年5月16日)は、アメリカの歌手、俳優、エンターテイナー。20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの1人として世界的に活躍した。

ユダヤ教徒とアフリカ系アメリカ人の混血であるがゆえに、さまざまな場面で過酷な人種差別を受けるなど、成功の影で苦労も多かった。

1990年にカリフォルニア州のビバリーヒルズにある自宅で喉頭ガンで死去した。64歳。亡骸はカリフォルニア州グレンデールにある墓地に埋葬されている。"


合掌。

コマーシャルでも:


2009年5月15日金曜日

東京アニス(Tokyo Anis)

カミさんが奢るというので昼飯はフレンチ:
Tokyo Anis- bento.com review: "東京パリ食堂のオーナーが息子に店を譲り、四谷に新しい店をオープンしました。"

なかなかうまかったです。親父さんはまだまだ健在。

とても良質の食事でデザートもよかった。値段の値打ちは十二分にある。四谷に移ったが牛込の「プチ・フレンチ・レストラン」の伝統は途絶えていない。

久しぶりにしっかりバランスのいい昼飯を食ったので晩飯は食わずにすませよう。これこそ究極の「エコ」。

それにしても、この手のレストランというのは、お客のほぼ100%が女性(アラサーというのか)。外に出ると公園で360円のコンビニ弁当を食っている男性サラリーマンがいっぱいいるというのに、彼女たちの財布と胃袋には、敬服。

夕張メロン初競り、二個で50万円!

あらら:
asahi.com(朝日新聞社):今年は2玉50万円、昨年の5分の1 夕張メロン初競り - 社会: "北海道夕張市の特産、夕張メロンの今年の初競りが15日朝、札幌市中央卸売市場であり、最初の1箱(2玉)が50万円で落札された。"

不況で世の中の人もようやく正常心を取り戻したと思っていたら、相変わらずトンでもない人間がいる。

一円を笑うものは一円になく。メロン一個に25万円を払って得意になっている人間には、必ず天罰が下る。たかが食い物にこれだけの値段を払うというのは、グロテスク以外の何ものでもない。

こういう不届きな人間は、神様が許したとしても、おいらは許さない。絶対にバカダカイ果物なんか買わない。

高値で売って消費者からボルのが正しい農業であるとする「ニッポン農業」の象徴的な事例。

愚劣なエコポイント制度に天木大使は怒り心頭

天木大使が怒っている:
[2009.05.15]  いまこそ消費者は決起すべきだ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ:
  "今日からエコポイント制度なるものが始まると言う。官僚が考えついたあさはかな制度だ。官僚に政策を丸投げする政治家の無能、無責任の証明だ。

 まだ使える自動車や家電を捨て去る事がなぜエコなのか。なぜ一部の大企業の製品の販売促進に加担する事がエコなのか。"

おいらも同感。おまけにエコポイントの引換券の用途の三番目に「地域振興のため」という用途がどさくさにまぎれて追加された。エコはいいことだと信じ込まされている純真な都市庶民の”貧者の一燈”といえるお金は、またしても、エコと逆行する地方の箱物作りのためにむしり取られることになったのである。

今朝の日経「大機小機」子は「現在のエコブームはバブルである」と喝破されている。過去のバブルと同じ。大損するのはバブルに囃されて踊り狂ったアホな大衆投資家。大儲けするのはバブルを演出しブームに乗じてお金を集めてさっさとドロンしたバブルの仕掛け人。今回も巨大で役に立たない「箱物」廃棄物だけが、ニッポンの野山に累々と連なりそうだ。人間はいつまでたっても進歩しないのである。

5/15 Today 高坂正堯が死んだ(1996)

高坂正堯 - Wikipedia: "高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年5月8日 - 1996年5月15日)は日本の国際政治学者、法学博士、元京都大学法学部教授。現実主義の論客としてもよく知られた。専門は、国際政治学、ヨーロッパ外交史。

「近代の超克」を唱えた鳥取県出身の哲学者・高坂正顕の次男として京都市に生まれる。大学では国際法学者の田岡良一や政治学者の猪木正道に師事。なお、猪木は「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と絶賛している。

肝臓癌のため62歳で死去。その死にあたっては、一大学教授としては異例な数の追悼企画が様々な雑誌で設けられた。また、没後には戦後の言論・現実政治の双方に与えた影響から、高坂自身を対象とする研究も現れつつある。"
常に易しい言葉で話をした。本当にエライ人は難解な言葉は使わないのである。特に国際政治とは、そういう感覚で考えた方が実態がよく分かる。

高坂正堯の著作集が出たとき申し込んだのだが、今見るとなぜか一部欠本がある。古本屋でのばら売りでは法外な値段が付けられているので手が出ない。




前原誠司も高坂正堯の学生だった。高坂の前原へのアドバイスがケッサク。まるで身も蓋もないアドバイスみたいだが、物事の本質とはこういうものなのである:

高坂正堯 - Wikipedia: "京都大学での門下生には中西寛、坂元一哉、戸部良一、田所昌幸、佐古丞、岩間陽子、益田実、中西輝政などがおり、多くの研究者を育成した面でも名高い。また、衆議院議員で元民主党代表の前原誠司も、高坂のゼミナリステンである。前原が高坂正堯ゼミ在籍時に、外交官になるか学者として大学に残ろうか迷っていた際、「外交官は京大出身では偉くなれないし、母子家庭なのでどうか」「学者は天才じゃないといかんが、それほど頭はよくない」「大学院に行くつもりで松下政経塾に行ってこい」とのアドバイスを行い、東京都議会議員であり、のちに日本新党へともに参画する松下政経塾生の山田宏を紹介して、政治家としての道を志すことを決意させた。"

2009年5月14日木曜日

5/14 Today 承久の乱が起こる(1221)

承久の乱 - Wikipedia: "承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱である。承久の変、承久合戦ともいう。
武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。朝廷と幕府の緊張はしだいに高まり、後鳥羽上皇は討幕の意志を固める。同年5月14日、後鳥羽上皇は「流鏑馬揃え」を口実に諸国の兵を集め、北面・西面の武士や近国の武士、大番役の在京の武士1700余騎が集まった。幕府の出先機関である京都守護の大江親広(大江広元の子)は上皇に強要され、やむなく京方に加わる。同時に親幕派の大納言西園寺公経は幽閉された。後鳥羽上皇は諸国の御家人、守護、地頭らに義時追討の院宣を発する。"
しかし朝廷は、結局、鎌倉武士団の返り討ちをくってしまうのである。

わがニッポンでは、一旦「朝敵」と名指しされると「朝敵」側が負けるというのが「キマリゴト」。朝敵とされながら家臣側が堂々と朝廷を撃ち破ったというのはこの事件だけではないか。この時の北条政子の名演説が残っている:
吾妻鏡承久3年5月:
"二品禅尼有勢の武士を庭中に召あつめてかたらひていはく、各々心を一にして聞べし。 是は最後の詞也。故大将家、伊豫入道・八幡太郎の跡をつぎて東夷をはぐくむに、田園身をやすくし官位心にまかする事、重恩すでに須彌よりも高し。報謝の恩大海よりもふかゝるべし。朝威をかたじけなくする事は、将軍四代の今に露塵あやまる事なきを、不忠の讒臣等天のせめをはからず、非義の武芸にほこりて追討の宣旨を申くだせ り。(略)恩をしり名をおしまむ人、秀康・胤義をめしとりて、家を失はず名をたてん事をおもはずやと。是をきくともがらなみだにむせびて返事を申にくはしからず。ただかるき命をおもき恩にかへん事ふた心なし。"

古今東西、国家権力を乱用して反対勢力を潰そうとする体制側の試みは、うまく行くときもあれば、逆効果となるときもあるのである。

今の民主党も、政子の演説に学べ。

2009年5月13日水曜日

5/13 Today 「メイストームデイ」:別れ話を切り出す日とのこと

こんなことらしい:
メイストームデー - Wikipedia: "メイストームデー (May Storm Day) は、日本の記念日で、5月13日。別れ話を切り出すのに最適な日、別れ話を切り出していい日、などとされる。
「八十八夜の別れ霜」(立春から88日目ごろに霜が降りなくなる、の意味)の言葉にちなみ、バレンタインデーから88日後に定められている。なお、八十八夜は立春から88日目(87日後)、メイストームデーはバレンタインデーから88日後(89日目)であることに注意。また、バレンタインデーから88日後は閏年には5月12日だが、メイストームデーは平年と同じく5月13日で、バレンタインデーから89日後(90日目)である。"

へ〜。

起源はどうもニッポンのようだ:
起源ははっきりしないが、日本起源であることは確かである。なお、メイストーム自体が、日本起源の言葉である。

なんたる人騒がせな。ともあれ本日が無事に終わることをお祈りします、ご同輩。

2009年5月12日火曜日

断腸亭の写真が見つかった!

明日、葛飾在住の荷風ファンの方々が、荷風ゆかりの地である余丁町を見んとて、連れだって遠足に來られるという。小生もご一緒にとのことだが、おいらは特にご参考になるような難しきことを話せるはずもなく、せめて話の種にもと古き反古のたぐいをひっくり返しているうちに、あらあら驚き、ながらく紛失したと思っていた当時の断腸亭の写真が偶然現れたることこそ、いとめでたけれ。荷風の編集による雑誌「文明」1917年10月号の裏表紙の写真なり(クリックで拡大)。

庭後隠士(籾山仁三郎)の説明によると断腸亭とはこのような建物だったよし:
お城よりは乾の方に当たりぬべし、牛込の片ほとり、余丁町といえるは、近き頃まで、大久保の内にして、都塵もさすがに此処までは及びがたき幽境なり。荷風先生の邸宅此の地にあり。……先生庭中に一廬を結ぶ。……小庵いとみやびたる様になりて、……心ゆくばかり閑寂の趣を尽くされたり。……新盧は六畳敷きにて、入り口の襖を開きて玄関の畳廊下に通ず。庭に面したる二方のうち、一方には梢高みに窓を開き、他の一方は、一間に壁を取り、入り口に向かい合いたる一間を障子となす。……庭よりは土縁の障子を開けて入るべし。

荷風がこの庵を造ったのは大正6年5月。2000坪もある父親の来青閣の土地屋敷は広すぎた上に家庭内トラブルも抱えていた。方丈記の真似をして此処に引きこもったのである。病気の振りをするのが好きな荷風を診断した友人の大石医師の見立てでは腸壁が薄くなっているという。それを聞いた籾山は荷風の腸はそのうち破れるだろうとからかう。それがきっかけで荷風はこの小庵を「断腸亭」と名付け、好きな秋海棠(一名断腸花)を廻りに植えて雰囲気を出す。この年の9月、荷風は41年間書き続ける日記『断腸亭日乗』を起筆するのであった。

その他、余丁町と荷風について「話の種」としてのメモ:
  1. 荷風と余丁町(住んでいた期間):23歳から39歳までの16年間、偏奇館時代(25年間)より短いが、市川時代(12年間)より長い。引きこもり荷風としては社会的活動も活発(森鷗外への師事、ロザリン、イデス、慶応大学初代文学部教授に就任、「三田文学」創刊、西園寺公望の雨声会、パンの会、結婚と離婚、幸徳秋水、発禁処分、父親の死去)。荷風の栄光と挫折の時代。厭世気分の高まり。
  2. 余丁町時代の作品:一番魅力的な作品が多い(?)、『あめりか物語』『ふらんす物語』『珊瑚集』『江戸芸術論』『四畳半襖の下張り(一)』『隅田川』『野心』『地獄の花』『新任知事』『夢の女』『狐』『深川の唄』『監獄署の裏』『紅茶の後』『掛け取り』『日和下駄』『牡丹の客』『矢はずぐさ』『妾宅』『腕くらべ』などなど、社会評論、随筆が多いのも特徴。
  3. 余丁町が荷風に与えた影響:余丁町の特殊性(御家人屋敷町しての余丁町、御家人の没落と困窮化、薩長新興成金と貧民の流入、監獄署、まさに荷風が嫌った明治的カオス)、一方で来青閣の庭には逃避の対象としてのフローラが、外出して社会風俗を傍観者として観察するが、逃げて帰るのはいつも大久保の余丁町、『深川の唄』『監獄署の裏』など、しかし父親に代表されるイエのしがらみからも荷風は逃げたかった、その象徴である余丁町を結局逃げ出すこととなる。断腸亭日乗はそのアリバイ作りのための書物? 売邸は以前から決めていた、二度も「余丁町こそ終の棲家と定めていた」と書いているところがわざとらしい、荷風は自由が欲しかった、そのためのお金が欲しかった
  4. 余丁町来青閣の売却金額は現在価値にしていくらか:大正7年の23000円、消費者物価で見ると現在価値はせいぜい2200万円、でも賃金水準の比較で考えると(当時の人の年収の40年分ぐらいで)今で言うと2億円の値打ちがあった。当時の日本人の感覚ではたいへんなお金。でも渡欧して物価が高い外国でランティエ生活を送ることができるほどの資産ではない、日本で一人なら何とかなる金額、荷風がケチになった由縁
  5. 荷風の「年寄りポーズ(やつし)」の意味は?:日本には「高等遊民」はいなかった、漱石も成れなかった、富豪はいたけれどもみんな忙しかった、荷風は間違いなく高等遊民、妬まれて憎まれた所以、自己防衛手段と煙幕としての「年寄りやつし」、これは余丁町で完成
  6. 荷風の魅力:荷風は実に多様だからいろんな読み方が出来る、最近はやっているキーワードが「老人のヒーロー」、現代日本では高齢者のひとり暮らしが増えている、男ばかりじゃなく女性の「おひとりさま」も、みんなにすがって生きるのが従来の高齢者に求められた姿、そんなの嫌だという人には荷風がたまらない、システムにコミットしていないので傍目八目で先が読める荷風的老人
  7. おまけ:荷風と紫式部、ドナルド・キーンは言った「キーンはあの時代の世界情勢があまりに醜悪だったゆえに「源氏物語」に逃避した、紫式部も当時の道長主導の平安貴族社会の権力闘争があまりに醜悪だったので逃避のために「源氏物語」を書いたのではなかったか」、荷風についてもそれがいえる、日本の戦前戦後の時代があまりに醜悪だったため、荷風は美しい作品と装幀と美しい(と考える)ライフスタイルに逃避したのではないか? 今荷風がまたブームになっている、これは今の時代がまたぞろ醜悪な時代になっているということの表れではないか。

5/12 Today 米よこせデモ(1946)……「地産地消」を強制されると餓死者が出るという例

終戦直後の食糧難はすごかった。多くの人々が飢えて死んだ。この日(昭和21年5月12日)東京世田谷で食糧不足を訴える区民集会が開かれ、その一部が皇居へ押しかける。いわゆる「米よこせデモ(食糧デモ)」である。

国際法によれば占領地の治安維持と非占領国民の生活保証は占領軍の責任となっているが、アメリカはそんなにお金をかけなかったので(ヨーロッパの占領地のようにはお金を投入しなかった)物資が枯渇してしまった。おまけに国際貿易が禁止されたので食糧輸入も出来なくなる。それに乗じて農村部の食糧売り惜しみが発生し都市部の食糧事情は戦争中より逆に悪化した。

そのあたりの事情は野坂昭如の『火垂るの墓』を読めば分かる。親戚に農家を持たない都市住民の間では無数の餓死者が出た。それを繰り返さないために農水族は食料自給率の向上が大事だと主張するが、間違っている。

当時、中南米やアメリカには食糧の過剰生産があり、地球全体でみれば食糧は十分足りていた。終戦直後の食糧難は、自由貿易が禁止されていたことと、それに乗じて農村での大規模な売り惜しみ(ヤミ取引)が発生したことによるのである。

国産食糧だけに頼る「地産地消」は,農村にとっては結構なことかもしれないが,都市住民にとっては餓死を意味するのである。

2009年5月11日月曜日

NIKKEI NET(日経ネット):養殖高級マグロ、食卓に 水産大手が生産を拡大

NIKKEI NET(日経ネット):養殖高級マグロ、食卓に 水産大手が生産を拡大: "一部のスーパーは特売を100グラム約800円と2割程度下げており、すし店などが中心だったが、食卓にも広がってきた。"

それでも高いと思う。おいらは関西人だから、マグロなんかもともと食わない。赤い生肉を生でむさぼり食っている人は、食人種みたいで、キモチワルイ。

マグロを珍重する風潮は所詮バブル。いつかはみんな平常心に戻る。そうするとバブルを前提にマグロの養殖事業に巨額の設備投資をした連中はみんな破産することになる。人間が食える魚をマグロのエサにしてしまったことの天罰だ。是正されるなら、これも世のため人のため。

日経社説:農政改革に消費者の視点と経営感覚を

あまりにも当然の社説。当たり前のことがようやく当たり前に議論されはじめた:
日本経済新聞社説:農政改革に消費者の視点と経営感覚を(5/11): "農地の貸借を原則的に自由化する農地法の改正案が、衆院本会議で可決された。硬直していた農政の根幹にある農地問題に39年ぶりにメスが入り、企業の農業への参入に道を開くとの期待が高い。ようやく芽生えた農政改革の動きである。大きく育てなければならない。

 日本の農業は諸外国に比べて生産コストが高く、国際的に価格競争力が劣る。国内農家を保護するため、農産物市場に高い関税で輸入障壁を設けている。このため消費者に届く食料品の価格は高い。"
でも、まだまだ問題の本質を理解していないナイーブな国民が多い。いいように騙されて言いくるめられてしまう。利権集団は簡単には死滅しない。本当の戦いはこれからである。

続きの全文を掲載しておく:
耕作放棄地をなくせ

 一方、国内の食糧生産は需要に比べて大きく不足している。国民の健全な暮らしに必要な食糧の供給を外国に頼っているのが現状だ。カロリーベースの食糧自給率は約40%と先進国の中で極端に低い。

 日本の農政は病んでいる。このまま改革を実行せず放置すれば、国内の農業は衰退し続け、国民の「食」の基盤が危うくなってしまう。農政改革を農家や農協、農林水産省、政界の農林族など一部の農業関係者だけの問題にとどめてはならない。

 農政改革は全国民の生活の質と日本の食糧安全保障にかかわる国家的な重要課題である。農業関係者のほか消費者や産業界にも、改革の行方を厳しく監視する責任がある。

 既得権益や利権が複雑に絡み合う農政の改革は容易ではない。その難しさは、今回の農地法の改正をめぐる国会での議論に表れている。

 改正案を国会に提出したのは農林水産省である。保守勢力の牙城と目される同省だが、組織内には改革に積極的な官僚も一部に存在する。石破茂農相は、これまで活躍の場を与えられなかった改革派を重要ポストに起用し、農政改革の立案を指示していた。農地制度の見直しはその流れの中から出てきたとみてよい。

 制度見直しの基本は、農地の「所有」から「利用」に発想を転換する点にある。GHQ(連合国軍総司令部)の指導による戦後の農地解放から続いていた、所有者が耕作者であるべきだという「自作農主義」を改め、農地の賃貸の幅を広げた。

 これにより、効率よく農業を営む能力がある人材や法人が農地を借りて、農業に参入できるようになる。高齢化で農作業ができなくなった農家が田畑を農業生産法人などの新たな担い手に貸し出せば、土地の有効利用につながる。

 細分化した農地が担い手の元に集まれば、耕作面積の大規模化が可能になる。農作業が効率化し、生産性が上がるはずだ。全国に約40万ヘクタールあり農地全体の約6%を占める耕作放棄地を減らす一助にもなろう。

 問題は、やむなく耕作をあきらめた農家ではなく、農地の値上がりや転売を見込んで休耕している所有者が賃貸に応じるかどうかだ。税制面で保有のコストが低い農地が、いずれ宅地や商業地、道路などに転用され、高値で売れるという期待を持ち続ける限り、農家は簡単には土地を貸し出さないだろう。

 衆院の審議では与野党の主張で法案に修正が施され、農地の借り手の要件が原案より厳しくなった。農地の所有権の扱いについても、与野党の反対で規制緩和が進まなかった。経営感覚が優れた企業が自ら農地を所有して農業に参入する障壁は、なお大きい。

 与野党ともバラマキ

 農政改革の実現を難しくする構造的な問題がここにある。一部の改革派の政治家や官僚が改革の種火を生み出しても、国会で骨抜きとなってしまう。自民党も民主党も総選挙を意識し、農業票の獲得のために、規制緩和を嫌う既得権者の農協や農家の意向に逆らいにくいからだ。

 現在の自民・民主両党は小規模農家と農協を守る手段で競い合い、農政の基本姿勢にほとんど差はない。現状維持と補助金のばらまきの発想から抜け出ていない。追加経済対策には農林水産関連で総額1兆302億円が積み上げられたが、構造改革とは無縁の項目がずらりと並ぶ。

 貿易自由化を前提とするコメの生産調整(減反)見直しも、高まっていた政官界での議論が尻すぼみになっている印象だ。自給率が下がっているのに、農産物の価格を上げるために巨額の税金を投じて減反を続けるのは、本末転倒ではないか。

 競争力が乏しく非効率なまま国内農業を守り続ければ、不利益を被るのは消費者である。経済危機への対応という大義名分の下で、官僚と農林族による旧来型の密室の政策立案に逆戻りさせてはならない。

 農地法改正だけでは十分な改革ではないが、1つの転機と考えたい。「食」への国民的関心が高まっている今こそ、日本農業の明日を拓(ひら)く農政改革を断行すべきだ。

石破を起用したのは大正解だった。石破一人だけのために自民党政権が続いた方がよいのかも知れない。

5/11 Today 巌本真理が死ぬ(1977)

巌本真理 - Wikipedia: "巖本 真理(いわもと まり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)は、ヴァイオリニスト。本名、巖本メリー・エステル。教育者巌本善治の長男である巌本荘民(まさひと)と、米国人マーグリトの間の長女として東京西巣鴨に生まれ、メリー・エステルと名づけられる。6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。ハーフとして差別を受け、病弱だったためもあり、1935年、私立帝国小学校を4年生で中退[1]。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1937年(38年説あり)、音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。1942年、英語が敵性語とされたことを受け、真理と改名。1977年、乳癌に罹り手術するが、再発し、惜しまれて53歳で死去。日本初の室内楽定期演奏会94回の偉業を達成した。"

合掌。

妙なことだけ覚えているが、彼女は演奏会の途中で手を休めるとき、ヴァイオリンは顎に挟んだまま両腕だけだらっと下に降ろすかたちで休憩していた。あのポーズは合理的なんだろう。

2009年5月10日日曜日

5/10 Today 探検家スタンリーが死ぬ(1904)

ヘンリー・モートン・スタンリー - Wikipedia: "ヘンリー・モートン・スタンリー(Sir Henry Morton Stanley, 1841年1月28日 - 1904年5月10日)は、ウェールズ出身のジャーナリスト、探検家。アフリカの探検、またデイヴィッド・リヴィングストンを探し出した人物として有名。"

彼はナイルの源流も発見したのかと思っていたら、そうではなかった。いまだにナイルの源流についてはいろいろ議論があるようなのだ。

つまり一般的な認識は:
ナイル川 - Wikipedia: "ナイル川源流を探ることは古代より行われていた。しかし、サッド湿地などの航路の難所を越えることができず、源流は不明のままであった。17世紀頃には青ナイル川の源流がタナ湖であることがヨーロッパ人にも知られるようになったが、白ナイル川については不明のままであった。1858年にジョン・ハニング・スピークがリチャード・フランシス・バートンとともにヴィクトリア湖を「発見」した。バートンは前年に発見したタンガニーカ湖を源流と主張し、スピークはヴィクトリア湖が源流と主張した。この論争を受けて、デイヴィッド・リヴィングストンがこの地域を探検したが、源流の確定には至らず客死し、その跡を継いだヘンリー・モートン・スタンリーにより、ヴィクトリア湖が源流であるとほぼ確定された。その後も、ヴィクトリア湖に流れ込む川の探検が続けられており、ルヴィロンザ川やカゲラ川などが源流とされるようになってきている。真の源流の探索は21世紀に入っても続けられており、2006年にもブラジルとニュージーランドの探検家が新しい源流を発見している。"

ところがこういう報告がある。日本隊が先に(1969年に)これを発見していたとする主張。知らなかった:
2006年の“新発見”は本当か~ナイル水源再考-JanJanニュース: "大ナイルの水源はどこか? 古代エジプト王朝の時代からの関心事は、19世紀の探検家たちによる激しい競争を経て、1969年の早稲田隊の調査でほぼ解明されたと考えていた。イギリス・ニュージーランド探検隊が2006年に「もっとも遠い源流を新たに発見した」という情報は本当に正しいのか、大いに疑問がある。"


これだけたいへんな大発見であったなら、早稲田隊はもっとちゃんとしたパブリック・リレーションをやっておかねばならなかったね。


ともあれ、スタンリーのヴィクトリア湖はナイルの源流ではなかったかも知れないが、誰もがスタンリーがエライと思っている。またリヴィングストンを「発見」して名文句(Dr. Livingston, I presume ?) を残したことも事実として記憶されるのである。功績は広く認知されて利用されてはじめて功績となる。アメリカ大陸はヴァイキングが「発見」したものかも知れないが、誰もその「功績」は認めていない。自己満足だけではダメ。


2009年5月9日土曜日

モモにアブラムシ、スミチオン散布

去年より一週間は早い。暖冬の影響か。スミチオン1000倍液を散布。

二三年前から7リットル手動式噴霧器を使っているが、これは不正解。液が少なくなってくると何十回もポンピングしなくては圧力が上がらないのだ。手動でやるのは4リットル缶が限界だと思う。でも、おいらは運動のためにやっているからいいのだ。

5/9 Today 森光子さんのお誕生日(1920)

森光子 - Wikipedia: "森 光子(もり みつこ、本名:村上 美津(むらかみ みつ)、1920年5月9日 - )は、日本の女優である。京都府京都市出身。血液型はB型。京都府立第一高等女学校(現京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。紫綬褒章、文化勲章受章。東京都名誉都民。

主な出演作品 舞台 放浪記 (戯曲)
  • 出演回数は2008年12月の中日劇場で1995回、主役を演じた年数45年は日本記録。
  • 2009年5月9日の自身の誕生日、東京・帝劇で前人未到の上演2000回を控える。"

今日で「放浪記」もいよいよ2000回ですか。89歳ですよ。尊敬します。

こんなのが発売されている:



2005年の収録だから、ちゃんと「でんぐり返し」も入っている。ちょっと高いが値打ちあるかも。

2009年5月8日金曜日

曙橋でゴーヤーチャンプルー丼を食った

曙橋商店街の途中から台町坂に上る階段の下に、二軒の「今風」レストランがある。そのうち一軒が最近オーナーが替わり、更に装いが「今風」になってリオープン。今日は「ゴーヤー(5−8)の日」なのでゴーヤーチャンプルー丼がランチだというので、食ってみた。

量はお上品だったけれど、スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒーと続き、なかなかのもの。ゴーヤー丼も四角いシックなお皿に入れて生野菜とともに供せられた。お上品だな〜。テーブルには個展的な写真集もある。

驚いたのは客筋。ほとんど全員が女性でエレガントな装いの「アラサー」(アラフォー?)。曙橋は本来「質実剛健」の街のはずだったが、あいつらどっから出てきたのだろう。ああいう連中は不況知らずみたい。

おいらみたいな年寄りはドキドキしてしまったけど、女性のスタッフのサービスがとても「サンパティック」なので、おじさんとしては嬉しかった。

お店の名前は失念。あけぼの橋商店街から入って手前の方のお店。

5/8 Today 東山千栄子が死ぬ(1980)

東山千栄子 - Wikipedia: "東山 千栄子(ひがしやま ちえこ、本名・河野せん(旧姓・渡辺)、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、大正・昭和期の女優。"




この人の映画は「東京物語」しか見てないが、熱海の海岸のシーンがとてもよかった。合掌。

東京物語 - Wikipedia: "『東京物語』(とうきょうものがたり)は、小津安二郎監督、笠智衆主演の1953年制作の日本映画。白黒作品。日本では1953年11月3日に、松竹の配給で公開された。
独立した子供たちの元を訪れる年老いた夫婦と、それをあまり快く思わない子供たちを通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらをシビアに描いたホームドラマである。核家族化と高齢化社会の問題を先取りしていた。"


アマゾンで見たらとても安い:



2009年5月7日木曜日

住商をまた売って日銭を稼ぐ!

同じことを繰り返すのは能がないとも思うが:
Letter from Yochomachi: 急騰した住商を売り……住商株は初心者向き?: "900円近くまで急騰した住商株の半分を売り。800円を下回れば買い。これを繰り返す。簡単に日銭が稼げる。"

このパターンの繰り返しである。今朝は急に上がったので@947で売り。

うまく行っているやり方を敢えて変える必要はない。今のご時世、日銭で凌ぐのだ。

5/7 Today 品川で捕れた鮫の腹から観音様が(1251)

こんなお話し:
サメのお話48: "東京の品川区南品川に海晏寺というお寺があるのですが、まずはここのお話。時は鎌倉時代な建長3年(1251年)5月の7日。ぺんぺん

品川の海で1匹のサメが網にかかりました。このサメのお腹を裂くとなんと中から観世音菩薩が出てきました。この話を聞いた北条時頼は、お寺を造って祀ろうということになりました。そう思ったのが、時の幕府の執権ですので、南北十二町、東西十町という広大なお寺を作りまして、四海平安の意味を込めて海晏寺という名前をつけました。

「江戸砂子」というのによりますと、このサメを引き上げた場所を鮫浜と呼びまして、鮫頭が崎とか鮫洲崎ともいうとあるそうで、現在、東京の人には運転免許試験場がある場所として知られている鮫洲の地名の由来はこれだそうです。"
そうなのですか。

浅草の観音様といい鮫洲の観音様といい、昔の江戸はとても土俗的だった。

それにしても、陸運局といい運転免許試験場といい、国土交通省関連の施設はおしなべてやたら不便なところにあるのは、理由があるのだろうか。

2009年5月6日水曜日

asahi.com:中国がメキシコにチャーター便 200人帰国させる予定 - 新型インフルエンザ特集

インフルエンザに過剰反応する中国は、やっぱり「後進国」だな:
asahi.com(朝日新聞社):中国がメキシコにチャーター便 200人帰国させる予定 - 新型インフルエンザ特集: "新華社電によると、新型インフルエンザ感染が拡大しているメキシコに滞在中の中国人観光客らを帰国させるため、中国南方航空のチャーター便が4日夜、中国広東省の広州空港を出発し、メキシコに向かった。中国衛生省の防疫専門官や医師も乗り組んだ。メキシコ市とティフアナで中国人の観光客計120人と居住者80人を乗せ、6日朝、上海浦東空港に戻る予定。"

残念なことにこれは中国ばかりじゃない。自称「先進国」ニッポンも同じ。

世界の主要国で新型インフルエンザに感染されていないところは、中国と日本ぐらいなモンだろう。両国とも国民が外国社会への接近を禁止することを建前とした「閉鎖社会」。外来種への免疫がつかないので、いずれは消滅する運命。可哀想に。

MacBook 電源が入らないトラブル

カミさんのパソコンの電源が入らなくなる。困ったことだが、なんとか直してやった。方法:
Apple Portables:SMC (System Management Controller) のリセット: "MacBook、MacBook Pro
  1. コンピュータに電源が入っている場合は、電源を切ります。
  2. AC アダプタを取り外した後、コンピュータからバッテリーを取り外します。
  3. 電源ボタンを 5 秒間押したままにしてから放します。
  4. バッテリーを取り付け直した後、AC アダプタを接続し直します。
  5. 電源ボタンを押して、コンピュータを再起動します。"

あらあら不思議。直ってしまう。

これでいつも「マック廃人」とバカにされている亭主の有り難みも少しは分かったであろう。

5/6 Today 鑑真入寂(763)

鑑真 - Wikipedia: "鑑真(がんじん、鉴真、jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。

鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされている。揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡った僧栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請された。栄叡と普照の要請を受けた鑑真は、弟子に問いかけたが、誰も渡日を希望する者がいなかった。そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなった。その後、日本への渡海を5回にわたり試みたがことごとく失敗した。

752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束した。しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかった。そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否した。それを聞いた副使の大伴古麻呂はひそかに鑑真を乗船させた。11月17日に遣唐使船が出航ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができた。

763年(天平宝字7年)唐招提寺で死去(入寂)した。76歳。"

弟子が行こうとしないので自分から率先して日本に行くことを決めた。リーダーはこうでなくてはならない。

鑑真に限らず、宗教家の信念と精神力たるやすごいものがある。信じられないような少人数で艱難難苦を乗り越えメキシコを征服したコルテスの「火事場の千人力」もおおむね宗教心からのもの。おいらみたいな俗人にはとても真似が出来ない。

唐招提寺はとても美しい寺。奈良で一番好きだ。


2009年5月5日火曜日

5/5 Today 屈原が入水自殺(BC278)

屈原 - Wikipedia: "屈原(くつげん、紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)は中国戦国時代の楚国の政治家、詩人である。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した"

あまり人を信用するものではない。悪い奴は特に信用ならない。ニッポンの利権集団の行動は、いくらきれいごとを並べていても、すべてエゴと悪意に基づくものと考えてまず間違いない。

粽もドラゴンボートも屈原を偲ぶための行事だったとのこと。知らなかった:
秦により楚の首都郢が陥落した事で楚の将来に絶望して、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。後に屈原の無念を鎮める為、また、亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としても人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これが粽(ちまき)の由来とされる。

また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。

ともあれ、春秋戦国時代は面白い。

2009年5月4日月曜日

5/4 Today 堀江謙一氏が単独無寄港世界一周に成功(1974)

【20世紀のきょう】堀江謙一氏が単独無寄港世界一周に成功(1974・5・4) - MSN産経ニュース: "当時35歳の冒険家が乗った小型ヨット「マーメイド3世号」が大阪・忠岡港に帰港し、276日をかけて単独無寄港世界一周に成功した。岸壁を埋め尽くした約3000人から「万歳」が起こると、日焼けした顔をほころばせ何度も手を振った。「地球は大きく、丸いなあ」と感想。"
髪の毛が黒い!

堀江謙一 - Wikipedia: "堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年9月8日 - )は、海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)。大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。関西大学第一高等学校卒業。アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。

1962年、マーメイド号による西宮-サンフランシスコ間の太平洋単独航海に成功。当時はヨットによる出国が認められなかったため、密出国であった。日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、堀江の偉業が認知されるにつれてその声は小さくなった。なお当時のサンフランシスコ市長には「コロンブスもパスポートは省略した」と、名誉市民として受け入れられている。
「マーメイド」の名は、敷島紡績(現:シキボウ)から、資金不足に悩んでいる際、当社の人魚マークを帆に入れてくれれば、帆を一式寄付するとの申し出を受け、同社の人魚マークが入った帆の寄付を受けた事に因んだ。太平洋横断は秘密だったため、太平洋横断のためのスポンサードではない。

また、1974年には270日余りで単独・無寄港の世界一周を成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難され、堀江を擁護する本多勝一らとの論争を呼んだ。"

世間の風当たりはけっこう厳しかった。ニッポンにはPTAママが多すぎるのが問題。

2009年5月3日日曜日

5/3 Today 横山ノック氏が死ぬ(2007)

横山ノック - Wikipedia: "横山 ノック(よこやま ノック、本名 山田 勇(やまだ いさむ)、1932年1月30日 - 2007年5月3日)は、お笑いタレント、元参議院議員、元大阪府知事。兵庫県神戸市出身。愛称は「ピッカリくん」「タコ小僧」「明石のタコ」「ノック先生」。個人事務所のやまだ真企画に所属していた。

1999年12月13日、大阪地方裁判所はセクハラ行為を認定した他、横山の逆告訴や法廷外での発言を名誉毀損であると認定し、女子大学生に対して1100万円(セクハラ訴訟としては過去最高額)の支払いを命じた。その後、12月21日には大阪地方検察庁から強制わいせつ罪で在宅起訴され、知事を辞職した。"
写真は「パンパカパ〜ン」時代のもの。

こういう「事件」は性懲りなく繰り返される。人間(男)とはもともと古来からこういうもんだと考える方が科学的なんじゃないかな。

2009年5月2日土曜日

5/2 Today 夏木マリさんのお誕生日(1952)

夏木マリ - Wikipedia: "夏木 マリ(なつき まり、本名および旧芸名は中島 淳子(なかじま じゅんこ)、1952年5月2日 - )は、東京都豊島区出身の女優、歌手。身長163cm、血液型はO型。豊島岡女子学園高等学校卒業。

1973年に現在の芸名で『絹の靴下』を発表。6月に再デビューすることが決まっていたことから、芸名が「夏に向けて決めよう」→「夏決まり」→「ナツキマリ」となった。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットとなった。"

あの手招きポーズが見たくて探してみた。見つかりましたよ!

これ:




いつ見てもえ〜ですな。

2009年5月1日金曜日

5/1 Today 「メーデー」

遭難信号: "船舶は遭難して救助を求める場合は、次の各号に掲げる信号を行わなげればならない

  1. 約1分の間隔で行う1回の発砲その他の爆発による信号
  2. 霧中信号器による連続音響による信号 例) 汽笛など
  3. 短時間の間隔で発射され、赤色の星火を発するロケット又はりゅう弾による信号
  4. 無線電信その他の信号方法によるモールス符号の「・・・---・・・」(SOS)の信号
  5. 無線電話による「メーデー」という語の信号
  6. 縦に上から政府間海事協議機関が採択した国際信号書に定めるN旗及びC旗を掲げることによって示される遭難信号……(以下略)"
ところで、この「メーデー」という信号の由来はご存じでした?

こういうことらしいです:
日本船主協会:海運雑学ゼミナール:264 「SOS」の意味は「Save Our Ship」??: "遭難信号としては、その後、無線電話の普及に伴って「Mayday(メーデー)」も採用された。こちらはモールス符号ではなく肉声で発信され、フランス語の「m'aidez(私を助けよ)」に由来する。ただし綴りは、発音が似ていてより覚えやすいMaydayと表記された。"